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<編集部からお詫びと訂正>
本誌「FUSION」の本文中において「ルーヴィル美術館」という文字表記がございましたが、ホームページ上では改めて「ルーヴル美術館」として表記しています。
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南房総(千葉県)の千倉という町は
太平洋に面し、東西に細長くのびている。
うしろは山で、そこから海までの平地では新春から
露地栽培の花が咲き乱れるといった温暖な土地だ。
ぼくはもの心ついた頃(正確には三歳の誕生日前後)から 中学を終えるまで、 つまり少年期のほとんどをこの町ですごしている。
家は海の近くにあり、門を出て左の方へ歩くと小高い丘に出て、
そこからは青々とうねる太平洋が横たわって見えた。
水平線が海の青と空の青を分けていた。
これがぼくにとっての原風景といっていい。
もしもぼくがパリのルーヴル美術館や
マドリッドのプラド美術館近くで育っていたのなら、
きっと毎日のように世界の一流の
画家たちの絵を見ていたとおもうのだが、
千倉ではそんなものはほとんど望めなかった。
しかし海だけは一流だった。
こんな話を時々思い出す。
あるヨーロッパのジャーナリストがアフリカはマサイ族の青年に、
君はこういう土地ですごしたことに何か疑問を感じなかったかと質問したという。
マサイ族の青年の答は感動的だった。
「確かにここには何もありません。でも自分はあのキリマンジャロを見て育ったのです」
ぼくも同じことをおもっている。
原風景として、常に目の前に洋々と流れる青い海を見て育ったのだ。
くっきりとした水平線、雲の変化、時折り荒れる波、
自然の芸術のなんと素晴しいことか。 |
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