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ここではさざえ堂という建築物について内部のさまざまな仕組みを含めて詳しく説明しよう。


さざえ堂という名のとおり、らせん構造がそのまま反映された外観。中間層の庇(ひさし)は全て内部のスロープに対応しているので庇自体が渦巻き状に取り付いている。一番上の六角の屋根だけが水平なのでこうして外から見るだけで、何か建物がねじ曲ってしまったような感覚に陥る。


らせん構造がそのまま外部に反映されている外壁。                           


さざえ堂横の飯盛家が経営する土産店の軒先から。正面には白虎隊十九士像が安置されている宇賀神堂。ここの十九士像は明治23年から明治37年までさざえ堂の内部に祀られていたが、その後この宇賀神堂に移転された。


土産店の一角のチケット売りの方。観光客を呼び込む流暢な名調子が今日も明日も明後日も貴方の来堂をお待ちしています。初めてここに来た時は録音かと思ったくらい淀みないさざえ堂の「裏名物」。そのエンドレス具合はさざえ堂の二重らせんの無限ループを連想させる・・・その名調子に身を任せて堂内に入ってみよう。


正面の破風をくぐると正面にはこのさざえ堂を考案した郁堂禅師の像がある。彼に関する資料は戊辰戦争により焼失してしまい、墓地の所在や出身地は不明である。会津若松市内にある実相寺の住職であり、正宗寺の住職を兼任していたという経歴が伝えられているが、ならば何故、実相寺ではなく、いわば副業である方の正宗寺にさざえ堂を建てたのか。 それだけこの飯盛山が特殊な霊域だったということなのだろうか。


郁堂禅師の像の左からはじまる疑似巡礼の旅。写真はスタート地点である。時計周りにスロープを上っていく。画面右手部分は中央のシャフト部分。この六角のシャフト状の部分に二重らせんの参拝路が巻き付いているのが会津のさざえ堂の基本的な構造だ。シャフト部分には厨子が埋め込まれそこにかつては西国三十三観音のレプリカが祀られていた。


上りスロープの参拝(観光)風景。画面右手から左手に上っていく。 堂内が狭い事と傾斜がきついという事がお判りいただけるだろう。左右の人物がそれぞれ手をかけているところに厨子がある。また天井はそのまま上の階の下り参拝路の床になっている。従って頭上からは下ってくる人の足音が聞こえて来る。板一枚を挟んですぐそこに聞こえてくるのに頂上まで行ってから下ってこないと足音の主には逢えないのだ。別に逢わなくてもいいんですけど。


上りスロープが終わると頂上の部分に至る。天井は六角の折り上げ鏡天井。不思議な造形である。無数の千社札が張られている。また通路は太鼓橋になっている。ここがさざえ堂のターニングポイント。この橋を渡ると今度は下りスロープのはじまりだ。


下りスロープは時計と逆回り。厨子の下に賽銭投入口があるのがお判りいただけるだろうか。


その賽銭投入口。さざえ堂創建当時、参拝客はここに賽銭として米を流し込んだそうだ。そして各厨子で投入された米は雨樋のように中央のシャフト部分内の縦樋に集められ縁の下に到達する。現在は所々にしかないが、当時は全ての厨子についていたのだろう。つまり一個一個の厨子から米を回収せずとも、一気に回収できる仕組みになっていたらしい。投入するものこそ違えど、今で言うところのダストシュートと全く同じ仕組みだ。現在は芯柱部分に床が張られてしまったのでこの仕組みは存在しない。


下りスロープである。上記の上りスロープと比べられたし。全く同じ配置である。しかしこちらは画面左から右に向かって下りていくのだ。 シャフト部分の中央に大人一人がやっと通り抜けらる位の隙間が見える。その隙間越しに見えるのは上りスロープにいる人だ。彼は画面左手から右手に移動し、右上に見える天井の上を歩いていくのだ。このように堂内は常に上りと下りの参拝路が表裏一体になっている。従って上っている時は常に下りを意識し、逆に下っている時は上りを意識してしまうのだ。 ちなみにこの部屋とも通路とも判断し難い空間は明治23年の大改修の際、中心にある6本の芯柱の間に床を張ってつくられたと言われる。その目的ははっきりしないが「入口と出口の鍵を閉める際に近道を通っていた」という飯盛氏の談によればやはり「ショートカット」のためにつくられたと考えるのが妥当であろう。ただしそれならば一層部分にだけ「近道」を造れば良いわけで2層、3層部分の同じところに「近道」がある理由が良く分からない。二重らせん構造による空間の面白さを強調するための仕掛けと考える事もできるが、真相は謎である。


頭頂部の石製の擬宝珠。平成6年に暴風雨により落下したという。 その下には六角の箱窓がある。明治初期の擬洋風建築を彷佛とさせる不思議なデザインだが、用途も謎だ。このような窓をつくるのであれば用途として考えられるのは唯一つ。最上階の採光のためである。しかし内部最上階の様子を思い出していただきたい。そこは六角の鏡天井によって塞がれているのだ。従ってこの箱窓は最上階の採光のためではない。ひょっとして六角の鏡天井の上に屋根裏部屋でもあるのかと思い、飯盛氏に伺ってみたが小屋組があるだけの単なる屋根裏だそうだ。鏡天井、またはこの箱窓自体が後からつくられたという考え方も出来るがあまり現実的ではない。現時点での結論としては単なる飾りのようだ。 このようにこの建物にはさまざまな謎があり興味が尽きない。

飯盛家の御当主、正日(まさにち)氏の御子息、飯盛正徳氏。

会津さざえ堂公式ホームページ