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※1 黄檗宗・・・承慶3(1654)年中国から渡来してきた僧、隱元(いんげん)によって開かれた宗派。徳川家の援助を得て仏教界で隆盛を極めた。当時最新の思想やテクノロジーを保有していた。もちろんその中には土木建築の最新技術も含まれる。
※2 羅漢寺・・・羅漢寺にはこのさざえ堂のプロトタイプとでもいうべき五百羅漢堂が亨保13(1728)年に建てられていた。中央の本堂と本堂左右にある2つの羅漢堂が一体化したコの字型の内部が一方通行の参拝路で構成されており、3つの建物全てを一方通行の参拝路を歩く事によって1周できたという。しかもその参拝路は上客用の板張りの参拝路と一般用の土間の参拝路の2種類があり、互いの参拝路が太鼓橋などを用いて決して交わる事なく入り組んでいたというから驚くほかない。この五百羅漢堂とさざえ堂という2つの「仏教アトラクション」を備えた羅漢寺は、当時江戸の人気観光スポットであった。
現在、羅漢寺は目黒区に移転し、五百羅漢堂もさざえ堂も現存していない。
※3 百観音巡礼・・・関西地方の西国三十三ヶ寺、関東地方の板東三十三ヶ寺、秩父三十四ヶ寺に祭られている観音像のことを百観音といい、それら100ケ所の寺を巡礼すること。現在のような巡礼スタイルは17世紀後半に確立され、江戸後期には庶民の間にもその人気は広がった。
※4 各地のさざえ堂・・・群馬県太田市の曹源寺、埼玉県児玉町の成身院、茨城県取手市の長禅寺、青森県弘前市の蘭庭院にさざえ堂は現存する。そのほか、新潟県新潟市、栃木県茂木町、茨城県結城市、埼玉県小鹿野町、東京都台東区などにもさざえ堂があったとされ、東日本のかなり広い範囲に存在したと考えられる。
※5 参拝の娯楽化・・・江戸期には籠細工大仏などの娯楽的要素を多分に含んだ参拝が流行した。これは大衆文化の成熟により、より大衆に受け易い形態を採ったものと考えられる。前述の五百羅漢堂なども純粋な羅漢信仰というよりは「亡くなった人によく似た像が必ず一体はある」という大衆受けする噂によって流行したものだ。この「参拝の娯楽化」は現代まで脈々と続き、大観音や大仏の胎内巡りやテーマパーク化した仏教施設などに受け継がれていく。
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