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乳房文化研究会の運営委員をつとめている――そう言うと、まず8割の人は「何を研究しているんだ?」と苦笑する。あとの2割は顔を赤らめて無言のままうつむく。研究会に関わってすでに5年近く。その間にさまざまな分野の専門家の方々と話をするたびに、「乳房」は女性を、そして今のこの社会を写し出す1つの鏡であると痛感している。だから堂々と、少しばかり自慢げに言ってみるのだが、どうも世間の反応は鈍い。
乳房文化研究会は93年に発足し、乳房という女性特有の器官をより広く学際的に科学することを目的としている。今年6月1日から京都で「おっぱいアートラボπr2乗展」という公募美術展も開催し、その活動がようやく世間の認知を得てきたところだ。運営委員には産婦人科の医師や助産婦が多数を占めているが、人文系の研究者も数名加わっていて、私もその1人である。
そもそも私が乳房研究に関わることになったのは、「身体(からだ)こそ究極のファッションだ」という仮説を実証するコラムをある広報誌に連載していたのがきっかけだった。時代や地域によって、女性の理想の身体はどう変わるのだろうか? 身体の美しさは数値として定量的に表せるのか?――そんな疑問に自ら答えるべく、古今東西の美術作品に描かれた裸体像を計測し、現代日本女性の平均値と比較するということを延々5年近く続けた。絵に描かれた肩幅、胸幅、ウエスト、ヒップの横幅を測ってサイズを割り出し、ヘソ、乳頭間隔、首のつけ根、それぞれの位置関係と乳房の形や大きさを見てきた。
古代エジプトから現代日本に至るまで50作品ほどを計測して、大雑把に言って、乳房をセクシャルなものととらえる文明と、乳房に女性の美を見出さない文明とがあることがわかった。西欧文明は、女性の性的な魅力が乳房にあるととらえる筆頭である。日本や中国はその反対に、裸体を描いても乳房の表現はおざなりだ。また時代によっても乳房の表現はさまざまで、例えば15世紀までは、西欧ファッションでも乳房は厚いコルセットでぴったりと押さえつけられているし、裸体像でも乳房の表現はいたって貧弱だ。その頃までは、女性の性的魅力はお尻と下腹にあるとされていたらしい。日本では縄文土器には乳房は豊かに表現されているが、弥生時代に入ったとたんに、乳房は衣服の下に隠されてふくらみさえもうかがえなくなる。
だが、文明や時代によっても変わらないのは、女性が乳房に対して「見られたくない、でもやっぱり見られたい」という矛盾した気持ちを抱いていることである。乳房がふくらみ始めた思春期の頃から、家族に、同性の友人に、そして異性に乳房を「見られる」ことは特別な意味を持っている。アイドルや女優が、ヌードはもちろん水着の写真を公開することでさえ未だにニュースになるのは、乳房に注がれる私たち社会の視線が熱く、そして重く複雑なためである。
女性は自分自身の乳房をどうとらえているのだろうか? 見られたいのか? それとも見られたくないのか? そんなことをこれからも考え続けていきたい。そしてすべての女性が、自分の乳房を生涯いとおしく誇らしく思える何らかの手助けができればいいなと密かに思いながら、研究会の活動にいそしんでいる。
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