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「森のイスキア」
心を病んだ人がやって来る。
体を病んだ人がやって来る。
重いのやら、軽いのやら、荷物を背負ってやってくる。
そして
気が付けば、自分で荷物を降ろして帰っていく。

青森県、弘前市から車で1時間。岩木山の麓、標高400メートルの湯段温泉の地に初女さんの主宰する、憩いと安らぎの家「森のイスキア」がある。
やってきた人たちに初女さんがすることはごく平凡なことだ。 料理を作り、一緒に食べる。そして話したくなった人の傍らでじっとその人の話に耳を傾ける。言ってしまえばただそれだけのことである。
だが、その食事は不思議な力を持っている。もし人の体のどこかに魂の器があるとしたら、直接その中にエネルギーを注ぎ込むような、そんな料理なのである。悩みを抱えた人や心を病んだ人たちがその料理に接し、やがて心を開いていく。
「調理」と「食事」という「目に見えるもの」を通して、「人の心」という「見えないもの」の中へ初女さんは旅をする。

 

 

「食べる」と心は開く

 

「食事したりすることが『生きる』そのものだと私は思っています。
 茹でるとか、切るとか、味付けするとかって、どこ1つ、おろそかにしてもおいしいものはできないし、大切にしなければできないので、『調理すること』が『生きる姿』そのものだと思うんですよね。
 私がいない時はみなさんがやってくれるんですが、私がいる時は自分で納得してやっていきたいと思うから今でも台所に立ちます。
 ごはん炊くのだって、米の研ぎ方とか、スイッチの入れる時間とか、もちろん水加減、できた時のほぐし方、よそい方、ご飯1粒ひとつぶが呼吸できるようにって。食べてみて初めて見えない何かを感じてくれるんですね」

 「私の場合はすべてが『食事』に表われているんでないかと。で、おいしいと感じた時に今まで考えもしないことが、ふわっと出てくるんですね。
 それは、直感っていうことでもありますが、直感というのも今突然出てくるのでなくて、今まで蓄積されたものが必要な時にぱっと出てくる。それが直感だと思うんですね。今まで奥に入っていたものが 『あっ、おいしい』と思った時に出てくる。みなさんと会っている時にそういうことを感じることがありますね」

 「食材は特別なものでなく、身近で手に入るものでやっています。やはりそれをおいしく作るというところ、それしかないんですね。食べると心の扉が開いて、順々に話し出してくれる。話していると、自分で答えを見つけていくんですね」

 「1回食卓に出して残っても、次に同じ形で出さない。残ったものを使って、全く形を変えて、新しいものとして出すことを心がけています。いったん空気に触れたことで、やつれた姿で人さまにさらすことになりますから」

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いのち から いのちへ

 

 初女さんの台所での動作はゆっくりして見えるが、無駄がない。必要な速さで動いていることに気付く。お手伝いしてくれる数人のスタッフとの間に柔らかな緊張感が流れている。ふわりとして「凜」。
 例えば食材を茹でている場合、切り上げ時の一瞬を決して逃さない。慌てるふうもなく、しかも速い。この瞬間を初女さんは「いのちの移し替えの瞬間」と呼んでいる。
 私たち人間は地球上のいろいろな「いのち」を食べて生きている。食べるもの、すべてが生き物である。「いのち」が「いのち」を食べている。
 「食材を、ただ『もの』だと思うのと『いのち』として捉えるのでは、調理の仕方が変わってくるんです。ものだと思えば、ただ煮ればいい、焼けばいいって感じですが、いのちだと思えば、これはどうすれば生かせるだろうか、ということになるんです」

 「調理の間はいつも意識を集中させていないと、食材のいのちと心を通わせることができないですね。例えば野菜を茹でている時、火のそばを離れずじっと見ていると、野菜が大地に生きていた時より鮮やかな緑に輝く瞬間があります。その時、茎を見ると透き通っています。その状態をとどめるために、すぐに火を止めて水で冷します。透明になった時に火を止めるとおいしくて、体の隅々まで血が通うお料理ができるんです。素材の味が残っているだけでなく、味が染み込みやすい時でもあるんですね。野菜がなぜ透き通るかといえば、野菜のいのちが私たちのいのちと1つになるために、生まれ変わる瞬間だからです。ですから私はそれを「いのちの移し替えの瞬間」と呼んでるの。蚕(かいこ)がさなぎに変わる時も、最後の段階で一瞬、透明になるといいます。焼き物も同じで、今まで土だったものが焼き物として生まれ変わる瞬間に、窯の中で透き通り、全く見えなくなるそうです。いのちが生まれ変わったり、いのちといのちが1つになる瞬間に、すべてが透き通るのかもしれませんね。
 透き通るということは、人生においても大切だと思いますね。心を透き通らせて脱皮し、また透き通らせて脱皮するというふうに成長し続けることが、生きている間の課題ではないでしょうか」

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出会いから出会いへ

 

 1995年に公開された龍村仁監督による『地球交響曲(ガイアシンフォニー)第二番』(※1)によって、佐藤初女さんは広く全国に知られることになった。
 「今生きている私たち1人ひとりが、心にどんな未来を描くかによって、現実の未来が決まってくる」という龍村仁監督の思いがこの映画を生んだ。
 封切られた4月に映画を観た。映画が終わり場内が明るくなると、観客のほとんどが若者で、見終わった後の余韻の中で、彼らが一様に軽く上気していたことを思い出す。世界的に知名度の高いジャック・マイヨール(※2)やダライラマ14世(※3)の日常が綴られていく中、その映画の核となって節々で登場してくる「佐藤初女」という無名の女性が、映画を見に詰めかけた若者たちの心を揺さぶったようだった。映画の中で初女さんが、人を驚かすような行動をしたわけではない。東北の豊かな四季を背景に、雪の下からふきのとうを優しく掘り出したり、梅を干したり、おにぎりをにぎったりしただけである。73歳だった初女さんの穏やかな日々の営み。
 どのシーンでも印象的なのが、初女さんのものに触れる時の手の優しい動きである。生まれたての赤ちゃんに触れる時、誰もが傷つけまいとして無意識にとる手の動き。「母性」というより、もう1つ先の母性「祖母性」という言葉が浮かぶ。若者たちは見たことのないものを見せられたのではなかったか。核家族の時代に育った彼らにとっては「失ったもの」でなく、生まれた時から「無かったもの」を見せられたのではないか。

 「私も祖母から受け継いだものが多いと思ってきたのですが、母も祖母に教わっているから、母も同じことを私に伝えているはずなんですね。母の方は元気があるから、言いつけるように、叱るように言ってきたと思うんですね。祖母の方は一世代おいているから言葉使いなんか、優しく話すので素直に受け取れたと、この頃思うようになりましたね」

 「でも、祖母や母ばかりじゃなくて、人生を振り返ってみると『出会い』なくして、何も始まらないと思います。出会いから出会い、それがまた次の出会いに、というふうにきたので、その中の発見と気付きが大事ですね。出会いの中で、いろんなことを私は教えられてきました。『おにぎりがおいしいのは、誰に教わったのですか?』って聞かれますけど、それは何人もの人に教わって気付いたことなんです。その積み重ねがあって、今は自分のものとして伝えられるようになりました」

※1 『地球交響曲(ガイアシンフォニー)第二番』 〜地球の声が、きこえますか。〜
世界各地から、地球のさまざまな姿や、自然と人間に深い思いを抱く人々が登場する「地球交響曲(ガイアシンフォニー)」。第二番では、ジャック・マイヨール(海洋冒険家)、ダライ・ラマ14世、フランク・ドレイク(天文学者)、佐藤初女(「森のイスキア」主宰)の4名が出演している。 「今生きている我々ひとりひとりが、”心”にどんな未来を描くかによって、現実の地球の未来が決まってくる。」この映画には人の心に問いかけ、そして揺り動かす力が秘められている。 制作は1989年から開始され、1992年の第一番を皮切りに、1995年に第二番、1997年に第三番が制作された。自主上映という形で全国各地で上映され大きな反響を呼び、140万人もの人々に感動を与えている。


※2 ジャック・マイヨール
海洋冒険家。1927年上海生まれのフランス人。1976年、素潜りで水深100mを越える記録を打ち立てる。映画「グランブルー」(1988年)のモデルとなった人物。人類と海との関係を科学的に研究し、映像・出版など精力的な活動を展開している。


※3 ダライラマ14世
1935年チベットのタクツェル生まれ。 チベット仏教の最高指導者。1949年の中国人民解放軍の侵入に対し、武力ではなく、忍耐と相互信頼による平和的な解決を提案し続けた。1989年、ノーベル平和賞を受賞。 中国との溝がさらに深まる中、国際社会に支援を訴え続けている。


 

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「食べる」ことを知る

 

 女学校時代、胸を患う。肺結核だった。喀血を繰り返しながら17年間の闘病。その体験が現在の「食べる」ことと深く関わって、生きるきっかけとなった。

 「その頃、注射や薬の効き目は些細なもので、これではなかなか治らないということを感じていましたね。反対に、おいしい食べ物をいただいた時には体内の細胞が躍動するように感じまして、注射や薬に頼るのでなく、食べることで元気になろうと思うようになりました」

 「17歳での発病以来、自然と少しずつ体を動かせるようになっていきました。もう闘病は終わったとはっきり実感したのは35歳ぐらいの頃でしょうか。健康であること、そして働けることへの喜びと感謝でいっぱいでした。これ以上の幸せはない、これからは何をすることも厭わないという思いでした」

 女学校卒業後、小学校教員になる。24歳の時、結婚。それを機に退職、ろうけつ染め(※4)を教えながら、1983年、弘前市内の自宅を「弘前イスキア」と名付けて開放した。現在の「森のイスキア」の前身である。
 次第に訪れる人の数も増え、手狭になる中で、初女さんは「森の中に人々の安らげる場所を作りたい」と次第に思い始める。そして、1992年、彼女の思いに共感する人々の尽力で「森のイスキア」が完成した。

※4 ろうけつ染め
中国の雲南省、貴州省に暮らす苗族等の少数民族が作る代表的な工芸品。蝋(ろう)の撥水性を利用した染め物。

 

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苦しみを感じきる

 

 すべての出会いから深いものを受けとってきた。
 「『私、苦しいんです』と訴える人に対して、頭であれこれ考えて解決の方向にもっていっても、それは本当の解決になっていないです。『そう、苦しいね。でも、もっと苦しまなくちゃ』って伝える時もあります。『初女さんは苦しいと思われることはないのですか?』という質問を受けることがあります。もちろん、私も活動を続ける中で、どうすることもできない心の葛藤が生まれることがしばしばあります。そんな時、私は苦しみを否定せずに、自分の心をまっすぐ見つめます。そしてどんな時も、苦しみを感じきることを大切にしています。苦しんで苦しんで苦しみ抜いて、もうどうにもならない、というところで『神様へおまかせ』に入るんです」

 「一期一会という言葉のとおり、私たちはその時の限られた時間しか触れあえません。『疲れたなあ』と思いながら会えば、その気持ちが相手にも伝わってしまいますので、心を素早く切り替え、いつも新鮮な気持ちで出会うこと。それを私は大切にしています」
 「また、私はどんな時も自分の都合を優先せず、その人が求める形で出会いたいと思っています。何かに取り組む時、ある限界までは、誰でもできることだと思います。けれども、そこを一歩越えるか越えないかが、大きな違いになると思うのです。そして1つ乗り越えると、また限界が出てきます。そのように限界を1つずつ乗り越えることによって、人は成長しますし、その過程は生涯続くものだと思います。
 確かに、このような生き方は大きな犠牲を伴いますし、私は時々自分でも厳しいなあと感じる時があります。『忙しい』という言葉を、私はなるべく使わないようにしています」

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その人の今だけを見る

 「私自身が緊張しないことが一番だと思うんです。私が緊張していると相手も緊張するから、緊張しないで受け入れることですね。それと、その人の奥を見ようとしないんです。『その人の今を見よう』といつも思っています。ああ、この人は前に何をしたんだろうとか、どうだったんだろうということは全然考えないようにしています。会った中で私が感じるままに動こうとしているんです。
 だから訪ねてきても名前を言わない人には聞かないし、話すことだけを聞くようにしています」

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自分に厳しすぎるかな

 

 「私も年齢からいえばもう働かなくていいと思われますけど、やっぱりちょっときついなと思うところを標準にしているんです。やりいいところまでにして、これで楽だと思うと、次にまた楽な方になってくるから、ちょっときついなと思うぐらいのところを標準にしてやっているんです。それでも、知らず知らずに体力は低下しているんですけどね」
 「みんな、いま揺れているんですよね。私自身も揺れているんです。ある時、尊敬する先生に、『私、揺れるんですよね』って言ったら、『ああ、揺れてもいいですよ』っておっしゃったんですよ。『でも大揺れに揺れるんです』と言うと『大揺れに揺れても、1本、芯が通っているからいいですよ』。じゃあ、芯がある人にならなきゃだめなんだと思いながら、また揺れているんです」

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展開し融合し、また展開する

 

 「森のイスキア」という駅。そこに列車はいない。初女さんと出会い、自分の乗るべき列車に気付いた時、列車は入ってくる。プラットホームでは実にさまざまな人と出会うことができる。「出会いがまた新しい出会いを創る」と初女さんが言うように。
 今、「展開」という言葉が好きだと言う。初女さんにはその時々好きだった言葉の変遷がある。
 「『力が欲しい』っていう時代もあったし、勇気がないので『勇気』と思ったり、『切り替え』という言葉を使っている時代もありました。でも『切り替え』というのも表と裏のように思えて、今は『展開して、開拓して、融合する』というのが私の中で大きいことです」
 何歳になっても「展開・開拓・融合」し続けて生きていきたい。それまでのすべてを打ち消すことなく、次々と新しい場所に出ようとしている人。

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春まだ浅い雑木林の中に、その人は立っている。
耳を澄ましている。
雪の下のふきのとうの体内を流れる水音。
さまざまな人の発する心の声。
「暮らすこと」のすべてが祈りだった。
炎に包まれた土が陶器に変わる瞬間、透明になるのだとしたら、 もう、とうにこの人も見えなくなっていていい。
しかし、この人はそうしない。
日々、人々の中にいて、病める人の隣に座り続ける。
「食」という「見える」もので 人々の心の中に「見えない」エネルギーを注ぎ込み続ける。

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聞き手/ルポライター 津川宏幹