NTTファシリティーズのホームページ



五十嵐太郎(建築史家)


■西新宿の高層ビル群の中で…

■コンセプトは「市民が集まる大聖堂」

■やがて建物は消え、アイデアは生き続ける

 

西新宿の高層ビル群の中で、ひときわ異彩を放つ東京都都庁舎(※1)(1990年)。
巨大な二本のタワーは、パリのノートルダム大聖堂(※2)のシルエットを連想させるし、東京のための墓標のようにも見える。
これは、東京オリンピックの代々木競技場(※3)(1964年)や 大阪万博のお祭り広場(※4)(1970年)など、戦後日本の復興を象徴するモニュメントを手がけてきた丹下健三(※5)が設計したものである。
建設時はコストをめぐる論争が起こり、メディアをにぎわせたが、今や東京の壮大なランドマークとなった。
私は建築学を専攻しているが、建築を専門としない人に会うと、しばしば「この都庁舎はどうなのか?」と質問される。つまり、好き嫌いを別として、それだけ有名な建築なのだ。
こうした話をするとき、いつも思いだす幻の都庁舎がある。丹下の門下生である磯崎新が、都庁のコンペの際に提出した落選案だ。それは現状の都庁舎とはまったく違うコンセプトを掲げていた。

 

※1 東京都都庁舎
1991年に東京西新宿に竣工。都庁舎は主に3つ(第一本庁舎、第二本庁舎、都議会議事堂)の建物から構成されており、第一本庁舎は地上48階、高さ243mにもなる。途中からそびえ立つ二本の塔が印象的なこの都庁舎は東京の顔であり、また丹下建三氏の代表作でもある。


※2 ノートルダム大聖堂
フランス初期ゴシックの傑作として名高い教会建築。1352年に建設が始まり170年をかけて完成した。高さは123m。日本でよく知られた「フランダースの犬」でネロが見たいと願ったルーベンスの絵がこの聖堂にある。


※3 代々木競技場
1964年、オリンピック東京大会の水泳とバスケットボールの会場として文化の中心地渋谷区に建設される。巨大空間を造るための吊り屋根構造は圧倒的な美しさ、優雅さ、たくましさを醸し出しており、今なお外国の建築家が訪問するなど建築物のトップクラスと言われている。全国的・国際的な競技会をはじめ、ミュージカルやオペラなど大型文化イベントも多数開催されている。


※4 お祭り広場
日本万国博覧会は1970年3月14日〜9月13日まで開催された。テーマは「人類の進歩と調和」。予想入場者数は約3,000万人であったが、実際は約6,400万人を越える来場者数を数え、この記録は未だに破られていない。前年にはアポロ11号が月面着陸に成功するなど、ハイテクな未来の到来を予感させるまさに大規模なイベントだった。


※5 丹下建三
1913年愛媛県生まれ。東京帝国大学建築学科卒業。同大教授を経て、丹下建三都市建築設計研究所を設立。
日本建築学界の重鎮。磯崎新氏、黒川紀章氏など日本を代表する精鋭たちが氏のもとから巣立っている。


※6 磯崎 新
1931年大分県生まれ。1961年東京大学数物系大学院建築学博士課程修了。1963年磯崎新アトリエ創設。
東京大学、UCLA、ハーバード大学、コロンビア大学など国内外の客員教授。また多数の国際コンペ審査員などもつとめる。世界各地での講演・シンポジウムと並んで、建築展・美術展・個展と多彩な活動を展開している。

 

---> このページの先頭へ

 

コンセプトは「市民が集まる大聖堂」


 都庁の設計者は、丹下と磯崎のほか、日本設計や山下設計など、合計9つのチームが参加した指名コンペによって決定されている。今、改めて見直してみても、丹下と磯崎の両案は際立っている。丹下の入選案は最もシンボリックな造形であり、それゆえに市民とメディアの反発を呼んだのかもしれない。一方、磯崎案は唯一超高層を採用しない。大きな直方体の箱を横に寝かせたような建築である。コンペの要項に従えば、どうしても超高層になってしまう。それを磯崎はあえて否定し、シティホールの根本的な意義を問う。彼は高さの競争を重要視せず、大きな広場を建物の内部にもつことを優先させた。
 シティホールの語源は、全市民を収容できる大きな広間である。つまり、権威的なモニュメントよりも、開かれたパブリックな空間を目指した。磯崎の都庁案は長い建物なので、公道を横断するという違反を起こしているが我々に公共性の問題を突きつける。彼はコンペに勝つことよりも、そもそも都庁舎とは何かを考えさせるために、落選覚悟で大胆な提案を提出した。
 以前、私のインタビューに答えて、磯崎は「建築を室内化した広場として見るべきではないか。シティホールというものを、要するに市民が全部集まる大聖堂と考える」と述べた。すなわち、丹下の現都庁が大聖堂の形態を模倣したとすれば、磯崎は大聖堂の空間を参照している。また1969年に新宿の西口を占拠したフォーク集会(※7)が排除された記憶から、「どんな市民も自由に出入りできる公共の場所が欲しかった」と告白している。

 

※7 (新宿西口)フォーク集会
ベトナム平和連合主催による反戦フォークソング集会。新宿駅西口広場でほぼ毎週土曜日に開催されていた。1968年6月15日には昼夜で行なわれ、4万人を上回る人たちが集まったと言われている。

 

画像協力:磯崎新アトリエ

---> このページの先頭へ

 

やがて建物は消え、アイデアは生き続ける


 幻の都庁は、オフィスのあり方にも興味深い提案を行った。磯崎は、かつて旧都庁における書類の流れや会議などの活動を自ら調査した経験がある。その結果、中央集権的な組織と違うシステムが有効に機能すると考えた。彼によれば、超高層ビルだと、異なる目的の交通がすべて垂直の移動手段を使い、混乱を起こし、効率を下げている。そして「横方向の複雑なネットワークを可能にする形態は超高層ではない」と言う。
 磯崎案はにぎやかな外観をもち、屋上に球体(都議会場)やピラミッド、立方体(国際会議場)や細い塔がついている。これらは根源的なプラトン立体(※8)として説明されているが、作家・荒俣宏は地相の観点から評価した。彼によれば、西新宿の安田火災海上ビルは尖った火星型、住友ビルはデコボコ屋根が水星型、ほかに四角の土星型と棒状の木星型もそろうが、円の金星型が足りない。屋上に球体をもつ磯崎案は金星型の要素をもち、「この場所にふさわしい」と言う。さらに建物単体として見ても、磯崎案は五行(※9)の要素がすべてそろっている。
 ともあれ、都庁は民主主義を象徴する建築であるとしたら、投票で決めてもよかったのかもしれない。しかし、数百年も経てば、現状の都庁も存在しないだろう。後世の人にとっては、もはやどちらが建っていたかは関係ない。それを見越してか、数百年は確実に残る木製の模型を磯崎は制作させている。実際の建築は消えたとしても、アイデアだけは永久に残るからだ。

 

※8 プラトン立体
5つの正多面体のこと。これを研究したギリシアの哲学者の名からプラトン立体とも呼ばれている。プラトン立体とは「その表面を囲む全ての面が同じ形の正多角形で、各頂点への辺と面のつながり方も全く同じになっている3次元図形」。具体的には正4面体、正6面体、正8面体、正12面体、正20面体の5つで、完全な対称性を有している。


※9 五行
中国古来の思想で、万物を組成する5つの元素である「木・火・土・金・水」の総称。

 

---> このページの先頭へ

文/建築史家 五十嵐太郎