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 僕は10歳だったから、まだ子供とも言えたし、もう10歳なのだから、少年だったのかもしれない。実際そのころは、自分で自分の領域がよく分からなくて、頼りなく迷っていたような気がする。僕は、鏡に映った薄い胸や、夕焼けに赤らんだ脆(もろ)そうな指を眺めては、未来の僕の姿を想って牛乳色の吐息をついていた。その頃日本は、大きな戦争をしていた。

 疎開していた北陸の市で、僕たち家族が住んでいた家の裏は、収穫前の一面の水田だった。稲は豊かに稔っていた。けれど、その夜にかぎって蛙が啼(な)かなかった。不思議なことだった。だから変に静かな夜だった。毎晩のことだったが、警戒警報が鳴った。夜中の11時である。僕はとりあえずパジャマを脱いで半ズボンの登校着に着替え、編み上げの靴を履いて、そのままの恰好でもう一度夏布団に横になった。5分もしないうちにサイレンが鳴ったので、いつものように解除だと思ったら、間歇(かんけつ)的に咽喉が引き攣(つ)るみたいな空襲警報だった。防空訓練ではない本当の空襲警報を聞いたのは、初めてだった。

 水を張った水田に足をとられながら、100メートルほど走って振り返ったら、ついさっきまで寝ていた家が、狂ったみたいに踊って燃えていた。座敷の見上げるばかりに大きい仏壇の観音開きの扉が火を噴いて、やがて朱色の仏壇はゆっくり倒れた。僕が家を見たのは、それが最後だった。町の人たちに揉まれて逃げるだけだった。映画やテレビでよく見る阿鼻叫喚(あびきょうかん)というのは嘘である。ああいうとき、人は黙るものだ。まるで上空の敵機に悟られまいとするように、激しく囁き合うだけである。

 もう走れなかった。水田に腰を抜かして坐り込み、僕は空を見た。何百の銀色の爆撃機が、下界の炎に翼を赤く染めて、いやに緩慢に飛んでいる。僕は稲の青い匂いと、焼夷弾の撒き散らした油脂の悪臭に噎(む)せながら、ぼんやり夜半の夕焼けを見上げているだけだった。この先いくら生きたって、あんなに美しいものを見ることはないだろう。

 その夜から、僕は子供ではなくなったのだろう。