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●セイコーエプソン社取材後記

 新宿から中央本線にゆられて、セイコーエプソン社の事業所がある塩尻(長野県)へ。甲府より先まで足を延ばしたのは初めてだった。どんよりとした曇り空の下、左手の車窓に鉛色の諏訪湖が見えてきた時、「ああ、そう言えば、この辺一帯は精密工業の盛んな町だったな」と小学校の社会科で習ったことを思い出した。
 同時に、取材数日前に放映されたNHKのプロジェクトX「逆転 田舎工場 世界を制す」の感動的なシーンも甦ってきた。
 かつて日本一の生糸の町として知られた諏訪市。太平洋戦争で基幹産業は崩壊寸前にまで追い込まれ、工場は次々と閉鎖された。食いぶちを失った女工たち、そして町の落魄。その救済と再興に立ち上がったのが商店街の時計屋の主人・山崎久夫氏だった。
 「(諏訪を)東洋のスイスにできないか」
 銀座の服部時計店で修行し、みそ蔵で始めた時計づくりが、今日、世界的繁栄を誇る同社の原点だった。番組では、山崎氏らが町の再興をかけて起こした時計産業、そして彼自らが諏訪の地へ集めた技術者たちがクオーツウオッチの開発に取り組む過程が臨場感溢れるタッチで描かれていた。無念にも、氏は志半ばで病(胃ガン)に倒れ、58歳という若さで不帰の人となったが、遺志を継いだ社員たちによって見事に悲願は達成される。
 小泉現首相は怪我を押して優勝した貴乃花に「感動したっ」と言って賜杯を渡したが、クオーツウオッチ「アストロン」を世界に先駆けて商品化した開発秘話に、私も同様の感慨を覚えた。
 クオーツウオッチが世に登場したのが今から32年前の1969年。以来、同社の技術者たちは、初代社長の気概を遺伝子のごとく受け継ぎ、数々の“世界初”を世に送り出してきた。
 キネティックのムーブメントにも、彼らの夢や英知、あるいは泥臭い努力といったものが凝縮されている。夢とされていたものが現実となり、不可能と思われていたことは可能になった。そのことがまた我々の生活にどれほどの豊かさや快適さ、至便性などをもたらしてくれたことか。
 ややもすれば外装のみに目が奪われがちな腕時計だが、重要なのは、目に見えない時計の内部構造。ムーブメントと呼ばれ、時計の心臓部に相当する小さな部品の精度にこそ腕時計の生命があることを取材で思い知らされた。
 長尾、加藤、北原の三氏に、開発に関わって嬉しいのはどんな時かと聞いた。製品が完成した時もそう、店頭に並んだ時もそう。しかし、一番は、「自分たちの担当した商品を腕につけている人を目にした時」という答えにはさもありなんと思う。ただ、その意味からすれば、腕時計を持たない主義の私は、彼らにとってあまり有り難くない種類の人間と言えるかもしれない。時の刻みを極めようとする者がいる一方で、時から解放されたいと願う者がいる。正反対の生き方があることもまた面白いと思った。
今の時代、IT化の洗礼を受けているのは腕時計とて例外ではない。携帯電話やデジタルカメラ、まさに腕につけてなんぼの腕時計に、PDA(携帯情報端末)としての役割が期待されている。クオーツよりも誤差の少ない電波時計の開発競争も盛んである。あるいは、形・色・サイズなどのデザインをユーザーと共同で開発するオーダーメードタイプの企画商品も誕生している。
 一方で、同社の主力ブランドである「グランドセイコー」のように、腕時計の王道をゆく高級クオーツウオッチの人気も堅調である。
 腕時計に対する人々のニーズはこの先どう変化し、技術者たちはそれにどう応えていくのだろうか。今のところ腕時計と無縁とはいえ、私のライター人生にまた一つ気がかりなテーマが加わったことも事実である。
 広々とした敷地に建つ近代的な社屋と工場。取材を終えてそれらを外観した時、みそ蔵でコツコツ時計づくりを始めた山崎氏の姿が思い起こされた。あれから60年あまり。時代に合わせてさまざまな腕時計を産み出してきた建物の周囲で、自然の時がゆったりと流れてきたことを感じた。