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「地球は単なる物質ではなく、地球そのものが大きな生命体であり、
人間はその生命の一部分として生かされている」。
イギリスの生物物理学者ジェームズ・ラブロック氏の提唱する「ガイア理論」が一人の映画監督の心を揺さぶった。
やがてその思いは映画となって人々の魂に静かに語りかけ始めた。
今から10年以上前のことである。
映画監督、龍村仁さん(61歳)。映画は「地球交響曲(ガイアシンフォニー)」。

 

一人の想いが生んだ思いがけない展開

撮ることの是非を問い続ける

与えられた勇気と感動を反芻(はんすう)しながらの前進

つながっていくことが大切、同時に個であること

瞬間に結びつくような柔らかなネットワーク

 

 

一人の想いが生んだ思いがけない展開

 

 もし、母なる星地球が本当に生きている1つの生命体であるとするなら、我々人類はその“心”すなわち“想像力”を担っている存在なのかもしれない。だとすれば、危機が叫ばれるこの地球の未来も我々人類の“心”のあり方に依って決まってくるのではないか。そんな漠然とした直感から製作を開始した「地球交響曲(ガイアシンフォニー)」の「第一番」が初公開されたのは1992年11月。以後「第二番」「第三番」を経て、2001年秋、観客一人ひとりが制作費を負担する「ひとコマスポンサー」による映画製作・上映という日本映画界の常識では考えられなかった方式で「地球交響曲(ガイアシンフォニー)第四番」を完成させた。

 よくどうして自主上映にこだわるのか、と聞かれましたが、こだわっていたわけではなくて、「地球交響曲・第一番」が完成した時、ほとんどの配給会社や映画館はこの映画の上映にまったく興味を示さなかったですね。こんな映画に観客が来るはずはない、という映画界の常識があったからです。
 たまたま東京での試写会を見た一人の地方の主婦が、どうしてもこの映画を自分の親しい友人に見せたい、と強く思って自分で映画の上映会を組織できないかと周囲に働きかける。上映会をするのに今まで経験したことのない現実的な困難に直面する。劇場はどうする、チケットは、映写技師、広告宣伝、会場整理は、こうした現実的問題を処理しなければ上映会は実現しない。いろいろ工夫しながら進んでいくうち、人と人の新しい繋がりが生まれたり、実現にこぎつけた上映会がまた別の上映会を生み、またさらに別の、といった思いがけない展開をし始めたんですね。

 映画についてはまったくの素人である一主婦の魂の力とでもいうべきひたむきな想いが次第に大きなうねりとなり、加速し増殖していった。そうした全国各地の観客自身による自主上映活動に支えられ、1995年4月「第二番」、1997年10月には「第三番」を公開し、自主上映主体の映画でありながら、2001年8月までに、全国3,900ヵ所以上約160万人の観客を動員するという奇跡的なロングランを続けてきた。

●龍村 仁(たつむら じん)
1940年兵庫県生まれ。映画監督。京都大学文学部美学科卒業後、NHKに入局し、主にフィルムドキュメンタリーを担当する。1974年ATG映画「キャロル」の制作・監督を機に退職。以後、ドキュメンタリー、ドラマ、コマーシャル等数多くの作品を手がける。1992年よりライフワークとも言える映画「地球交響曲」シリーズを公開。2001年夏「地球交響曲第四番」が完成した。


●映画「地球交響曲」
さまざまな人々の生き方をインタビューと映像でつづり、地球とそこに暮らす私たちの未来にとって示唆にあふれたメッセージを投げかけるオムニバス形式のドキュメンタリー映画。「地球(ガイア)の声が聞こえますか」という呼びかけで始まるこの映画は、地球環境の美しさ大切さを訴えかけるだけではなく、一人ひとりの心の無限の可能性に言及する「こころの映画」として、大きな反響を呼んでいる。

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撮ることの是非を問い続ける

 

 映画「地球交響曲」は、さまざまな人々の生き方をインタビューと映像でつづり、地球とそこに暮らす私たちの未来にとって示唆にあふれたメッセージを投げかけるオムニバス形式のドキュメンタリー映画である。
 出演者として直接登場することなく私たちにメッセージを残していった人、そして「地球交響曲」の進むべき道を沈黙の内に龍村さんに示した人、写真家星野道夫さんについて話さなければならない。「第三番」クランクイン直前、出演予定だった星野さんがシベリアでキャンプ中、ヒグマに襲われ急逝する。その突然の死は、「地球交響曲」を制作していくことそのものを問い直す大きなきっかけとなった。亡くなった星野さんの「魂」に励まされ制作に入った龍村さんは、本来なら星野さんが会い共に語り合うはずの人たち、あるいはその中に星野さんが立つはずだった風景を映像に収めながら、なお撮ること自体の是非を問い続けた。


 プランは全部なくなってしまっていました。星野の死ということからガイアシンフォニー全体を止めるかもしれない、という選択の中で、こういうことが映画として持続しうることかどうか、「映画にする」という行為そのものが許されるか否かということでした。監督であるからということでなく、一人の人間として、それから星野は友人でもありましたから、どんな映画になるか分からないままにただ約束を果たそうということで進み、97年に映画という形になって完成して上映が始まって、それでも「許されることなのか否か」分かっていなかったし、これからも答えが出ることはないでしょうね。

●星野道夫(ほしの みちお)
1952年千葉県生まれ。写真家。アラスカ大学野生動物管理学部に留学。以後アラスカで、野生動物や人々の暮らしを写真と文章に記録する仕事を始める。1996年8月ロシアで取材中、クマに襲われ急逝。

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与えられた勇気と感動を反芻(はんすう)しながらの前進

 

 1997年、「第三番」は完成し全国で上映の輪は広がっていった。しかし映画が賞賛を受ければ受けるほど、龍村さん自身は深く沈潜していく。一方で、所属する会社「オン・ザ・ロード」での日々の仕事にも追われる。

 「第四番」までの四年の間に、小さい仕事も山ほどやってます。与えられた仕事があった場合、目一杯やりますよ。私は作家だからやらないとか、そんなこと言ったことは一度もないですね。仮にガイアシンフォニーという映画を軸にして話すと、どんな仕事でも、こういう映画を作るための下地になる要素はありますから、あらゆる経験は無駄じゃないです。どんなネガティブに見える経験でもただ無駄だと思ったり、ストレスそのものだけにしてしまうか、そこの中に次のステップへの何かを見つけられるかで仕事の意味が変わってくると思う。あらゆる体験は必ずプラスになっていく。プラスになるかどうかをむしろこっちが問われているわけだと思います。

 1999年夏になって、ようやく「第四番」への助走が始まる。その中で、「地球交響曲」が人々の間を駆け巡り始めるきっかけとなった一主婦の「ひたむきな魂の力」とでも言うべきものをさらに深化させた映画制作のカタチはないだろうか、と模索していく。
 そしてカタチとして見えたものが、観客一人ひとりが制作費を負担する「ひとコマスポンサー」による映画制作・上映という日本映画界の常識では考えられなかった方式で、自分が名付けた会社「オン・ザ・ロード」から離れていく時がやってくる。
 龍村仁事務所の設立。


 正直しんどいと思ったことは事実です。不安もあった。同時にこの10年間に上映会場などでお会いした方々、主催者や観客一人ひとりの顔を思い浮かべて、その時与えられた勇気と感動を何度も反芻しながらの前進でしたね。

 第四番の撮影は奇跡のように順調に進んだ。最初は小さかったひとコマ運動の響きも、次第に共鳴し増幅されながらついに壮大な交響曲となって響き始めた。第四番は観客と共に奏でる最初のシンフォニーとなった。2001年8月には18,000口の「ひとコマスポンサー」が集まった。

 これからの市民社会では、限られた世界の“素人”“玄人”の区別はそれほど意味を持たなくなる、と龍村さんは言う。どんな小さな一市民でも大きな市民運動の中核になりうる時代がくるはずだ。その動機や目的、熱意が正しければ、そこからさまざまな人々のネットワークが次々に生まれ、現実を処理する能力が発生し、気がつくと大きな変化が起きている。IT革命というのも実はこんな地球の叡智であるような気がする、と。

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つながっていくことが大切、同時に個であること

 

 今回の映画でラブロックさんが「Be an individual(個として 生きよ)」と言ってます。ラブロックさんだってたった一人でやっているわけじゃない、あらゆる現代の最先端の科学と結びながらやってるんだけど、根底では「Be an individual」なんですね。それは何も社会からはみでてアウトローとなって一人で生きるという意味ではないわけですよ。結局内側に自分自身で考え自分自身で責任を取る、という意思のなかで「Be an individual」である時に、初めて多くのものとネットワークして共にあるということが正しくできるよ、ということでしょう。そういう思いは私自身もありますね。

 一人じゃ何もできないですけど、異質のものが異質のままに、しかし共にあれる、という形が生命的に一番健やかな関係なんですね。統一して同じように同じパターンになるというのは、まず絶対生命の摂理に反しますね。たった一種だけ生き残って他の種が絶滅すればいいというのは絶対ないですね。そのことによってこの種自体が消滅します。生命は初めから健やかに生きたいという意思を持ってるだろうと思う、どの生命も。それから多様化していこうとする意思も持っていると思う。生まれた限りそれなりに健やかに生きたいということと、多様なままに多様に生きる、できればもっと多様化したいという。ふってわいたような危機に面した時に多様化してればそれに対応できる、新しい生命を組み立てることができるけど、要素が少なくなってしまったらある衝撃に適応できなくて絶滅するということがある。絶滅したくないという生命全体の生き続けたいという意思は必然的に多様化に結びつくはずですから、多様化していくというのは重要なファクターで、インターネット等というのも全部、多様化していくことをしながら〈共にある〉やり方を作るための仕組みをやっているわけで、自然界の摂理、生命界の摂理に合ったことっていうのは必ずうまくいくと思いますね。

●ジェームズ・ラブロック
1919年イギリス生まれ。生物物理学者。“地球はそれ自体が大きな生命体である”とする「ガイア理論」の創始者。彼の理論は、地球科学、生命科学の分野にさまざまな刺激を与えたばかりでなく、20世紀末の環境保護運動の理論的支柱ともなった。現在はイギリスの片田舎の研究室で、独立科学者として研究活動を続けている。元・海洋生物学協会会長。

 

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瞬間に結びつくような柔らかなネットワーク

 

 21世紀は、たった一人の個人であっても、その人が本当に志や魂の力を核として何かをやろうと欲し、それが人の心を動かせるとすれば、多種多様な人たちが瞬時に結びついて現実化してしまう。そういう形での市民運動や、他の必要な活動が起こる時代になると思います。固定した中心点やトップが決まった形であるのでなく、その都度、中心点が変わるようなね。現実的に大きな事柄を動かすためには、ただ志があるだけではダメで、現実を処理するきわめてプロフェッショナルな能力のあるネットワークが必要です。ある時、ある人たちが一つの事柄に向かった時、パッと瞬間に結びつくような柔らかなネットワークですね。これは、生命が健やかに育むときのやり方なんですよ。頭がすべての命令器官ではなく、部分のいろんなところが、その都度、必要な中心発信源となっている。
 20世紀最後の10年に起こった「地球交響曲」の自主上映活動もまさに、その予兆であったんですね。誰に指示されたわけでもなく、心のつながりから生まれた活動という意味でそれは既に始まっていたと思います。

 次回作「第五番」について聞いたところ、「まったく考えていません。ただ確実にできるだろう、と思っています」と答が返ってきた。

 自分の意思でそれを選択して始める。強い意思を持って勇気を持ってあることを始めて成し遂げるということもあるが、時が満ちていないと意思があってもそれが具体化しないこともあるでしょう。映画とか映像となって具体的に結果として残っていくということになるためには、「時が満つる」ということがものによってあるんですね。時が満ちていないままにばらばらに存在しているものがたくさんありますから、これからそういうのが動いていくのかなという気はしてます。

60歳、還暦
「赤子に返るように、つくりたいという気持ちに素直になれた」

 

この人は思い出そうとしている。
遥か遠くに置き忘れてきた自分。
自分の生きてきた生だけでなく、地球上に生命が誕生した時からの記憶を忘れている自分。
「それを取り戻しに追いかけていくこと。それが生きること」だという。
そして私たちにも、映画「地球交響曲」を通してそれを伝えようとしている。
「地球交響曲」のポスターには「地球(ガイア)の声が聞こえますか」と謳われている。
「あなたの中にあるあなたの声が聞こえますか」という意味を込めて。

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聞き手/ルポライター 津川宏幹