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五十嵐太郎(建築史家)


■戦禍を生き抜いた名建築を待っていたもの

■ファシリティーの老衰

■時代の変化とともに逝った「完全」な建築

 

●戦禍を生き抜いた名建築を待っていたもの

 ホテルのオープニングともいうべき、お披露目の日に大きな試練を経験した建築も珍しい。1923年、運命の日、竣工記念のパーティを行っていた帝国ホテルは、関東大震災の洗礼を受けながら、瓦礫の山と化した東京で毅然として建ち続けていた。アメリカの巨匠フランク・ロイド・ライト(*1)が日本に残した代表的な作品である。天災に耐えたというエピソードは、ライトの天才神話を強化することになった。帝国ホテルは傑作だが、装飾を排したモダン・デザインではない。大谷石(*2)のブロック、スクラッチ・タイル、テラコッタが全面をおおう、異形の建築だった。圧倒的な密度の装飾は、人々を驚かせた。
 戦争中、アメリカ軍は爆撃を避け、救済すべき重要文化財として、古い寺社とともに、帝国ホテルを指定していた。ただし、誤爆によって、孔雀の間は焼夷弾の被害を受けている。日本が近代建築も保存の対象として考えるようになったのは、1970年代であり、それも帝国ホテルの解体がきっかけだったのは皮肉である。1968年にライトの帝国ホテルは解体された。その前年、帝国ホテルを守る会が発足し、「地震に耐えたこのホテルを、いま壊してはならない」と叫ばれたにもかかわらず。帝国ホテルは、地震と戦争をくぐり抜けたが、日本の急激な経済成長によって、自らの手で壊されることになったのだ。

 

*1 フランク・ロイド・ライト FRANK LLOYD WRIGHT(1867〜1959年)
 アメリカ・ウィスコンシン州生まれ。20世紀を代表する建築家。
 日本では帝国ホテルがあまりにも有名だが、生涯で800を超える膨大な設計の大半が住宅建築だった。ライトの建築の特徴である自然との調和を重視したそれらは独創性に溢れ現在でも賞賛の的となっている。


*2 大谷石
 栃木県宇都宮市大谷町付近一帯から採掘される凝灰岩(主に火山灰が固まってできる岩石)の一種。ざらざらして穴が多く、全体にかすり模様が入っているのが特徴。軟らかく加工が容易であり、石特有の冷たさがない。耐火・耐震・防湿性に優れているうえ低価格でもあるので、建築資材、装飾用材など用途は多岐に渡り活用されている。

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●ファシリティーの老衰


 それにしても、惜しまれながら、なぜ建て替えられたのか。一つは容量の問題である。解体以前に、帝国ホテルは、1954年に第一新館、1958年には第二新館を増設していた。そして1970年の大阪万博を控え、さらなる客室増が必要だったに違いない。
 確かに、新築された帝国ホテルは高層ビルだった。周囲の建築群もすでに高層化していた。実は、戦前からホテルの建て替えが検討されていた。1940年に東京オリンピックが予定されていたからだ。そうなれば、多くの外国人が来日する。帝国ホテルは、外賓を迎える国策として1890年に開業し、ライトの建物は二代目だった。しかし、270の客室しかない。そこで1936年には、多くの外国人を収容できる、効率性を重視したホテルの新築が計画されていた。ライト館が完成して、わずか10年ちょっと、という時期である。
 だが、戦争が起き、東京オリンピックは幻に終わり、ライトの帝国ホテルは生きのびる。終戦直後は接収され、しばらく連合軍の高級将校の宿舎として使われた。戦争のおかげで存続したのである。しかし、1952年にアメリカから返還されたとき、ホテルは常に修理が必要な状態になっており、その費用も大きな負担だった。建物の状態を悪化させた大きな要因として、戦後、地下鉄工事や近隣のビル工事で地下水を汲み上げたために地盤が沈下したことが挙げられる。そして1960年代には、営業に耐えないほど老朽化し、スタッフ同士で「いよいよ限界ね」とささやいていたという。

 

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●時代の変化とともに逝った「完全」な建築


 欠点も少なくない。震災時、壁に亀裂の入った地下プールは使えなくなっていた。短い杭の浮き基礎や張り出し床は地震の直撃を避けたとされるが、不同沈下の原因となり、老朽化を早めている。地震で残ったのも、従業員が必死で火災をくいとめたことが重要だった。かつて支配人をつとめた犬丸徹三は、統一されたデザインは美しいが、使い勝手は悪く、窮屈だったと証言している。また各部屋に照明と暖房を兼ねる電気スタンドを置いていたが、費用がかかるうえ、ヒーターで火傷する危険があった。そして名建築にありがちな話だが、雨漏りに弱かったらしい。大谷石が雨でぼろぼろになっていたのだ。
 天才神話の背後に隠れがちだが、ライトの帝国ホテルは早い段階から機能的にも経済的にも問題を起こしていた。変化の激しい時代には、建築に求められる性能も大きく変わる。ライトの建築は完全すぎたのだ。逆に言えば、ライトが変化に対応できる柔軟な建築を設計していれば、帝国ホテルが生き残るチャンスもあったかもしれない。

                           画像提供:遠藤 楽 ほか

帝国ホテル

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文/建築史家 五十嵐太郎