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●遺跡としての帝国ホテル
 ライトの帝国ホテルがいよいよ壊されるという時、多くの人がその最後を惜しんで訪れたらしい。本人は、その悲報を知ることなく、1959年に亡くなっていた。ライトの弟子だったエドガー・ターフェルは、わざわざ来日し、帝国ホテルの新館に泊まりながら、隣の解体現場をずっと見学していた。そして日本人はファンタスティクな壊し方をするという感想を書いている。建物を壊す前に、すみずみまできれいに掃除をしていたことが印象に残ったらしい。どうせ壊すなら、掃除なんかする必要がないというのがアメリカ流の考え方なのだろう。帝国ホテルの家具は古物商に売却されたらしい。幾つかの博物館や美術館にも収蔵されている。ターフェルも、建築の破片と椅子をひとつもらって、アメリカに持ち帰ったという。解体が建築の葬式だとすれば、まるで形見分けのようだ。そう、ライトの帝国ホテルは永遠に失われるはずだった。

 しかし、全解体の工事が開始される直前の1967年11月、佐藤栄作首相は、帝国ホテルの移築を表明した。そのおかげで帝国ホテルは再び生きのびることになった。劇的な建築の人生(?)である。しかし、残念ながら、すべてが残ったわけではない。部分移築である。とはいえ、われわれは帝国ホテルの断片を味わえることに感謝しなければならない。現在、犬山の明治村を訪問すると、一番奥の池に面して、帝国ホテルの玄関部分が建っている。ここは役目を終えた近代建築が集まる、建築の老人ホームだ。ライトの帝国ホテルは、およそ45年間を現役で活躍している。しかし、今は2002年。移築してから、すでに30年以上が経っている。ということは、もうしばらくすると、ライトの帝国ホテルは、明治村にいる年月の方が長くなる。今度はホテルとしての機能が問題になることもない。したがって、現役以後の時代が確実に長くなるだろう。なんとも不思議だ。

 明治村は建築の博物館である。博物館とは、使われなくなったものを展示する場所だ。ライトの帝国ホテルも、役目を終えた遺跡としてずっと残る。思えば、帝国ホテルは近代ホテルというよりも、最初から古代遺跡のような建物だった。ライトも、デザインをする際にマヤの遺跡を参照したと述べていた。また彼は、大谷石だらけの建設現場で、マヤの遺跡を発掘しているようだと喜んだという。

 ところで、最近もドラマ化された梅図かずおの漫画『漂流教室』がある。突如、時空のゆがみにより、学校がこつ然と姿を消し、砂漠の世界にとんでしまうものだ。明治村の帝国ホテルは、この物語を思い出させる。帝国ホテルが解体された1967年生まれの筆者は、建築が現役だった時代を知らない。だから、明治村を訪れると、あの地震のとき、ライトの建築は日比谷から移動していたのではないか、そんな思いにかられる。