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どこにでもある風景

 僕が心の中に描く景色というのは、子どもの頃にどこにでもあった風景であるように思う。
 丘の上に100本か200本ほどのクヌギやコナラの木が身を寄せている。茂みの中は、芳香に満ち、虫や鳥などの生物にあふれている。少年の目には、それが雑木林という環境である以前に、まるで生命のカプセルのように感じられたものである。
 田んぼもそうだ。あぜ道に沿って流れる小川は、田んぼが涸れたあとも水面を光らせフナやナマズとの出会いをいつも約束してくれた。
 ところが、中学生になった頃から、雑木林や小川が突然なくなりはじめた。雑木林の場合は、ひと夏訪れないあいだに、木々はおろか、山のような土地の大きな起伏がそのまま消えていることがあった。そこには、まったく別の風景があらわれた。子ども心に裏切られたと思いながらも、ただ唖然としてその現実を眺めるしかなかった。
 風景は、永遠のものでないと思うようになったのはその頃からだ。
 生活が危ぶまれる生物は絶滅危惧種、なんて名付けられるけれど、雑木林や田んぼの景色にだって絶滅危惧風景、というのがあってもおかしくない。どこにでもあったものがなくなることは、生物であれ風景であれ怖いことだと思う。