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キヤノン「主焦点補正光学系」

 

すばるの高い性能を特徴づける主焦点補正光学系

製品化に向け、SOプロジェクトが発足

未経験のサイズに目測を誤る

夢を追った2人の少年

 

すばるの高い性能を特徴づける主焦点補正光学系

 

 ハワイ島マウナケア。標高4,200メートルのこの山頂に、日本の国立天文台が建設した大型光学赤外線望遠鏡「すばる」のドームが立つ。

 地球外惑星の直接観測などが期待されるこの天体望遠鏡は、さまざまな面からその特徴や性能の高さが謳われている。

 

マウナケア山頂とドーム群(画像提供:国立天文台)

 たとえば、一枚鏡としては世界最大(口径8.2メートル)の主鏡をもつこと、東京から富士山頂にあるテニスボールが見える分解能(細部まではっきり見える能力)を誇ること、あるいはビッグバンから間もない百数十億光年もの遠い昔に放たれたクエーサーの光をとらえる集光力を持つことなどである。
 しかし、表立って語られることはないが、すばるの特徴を掲げるうえで無視できないことがある。それは、他の光学望遠鏡に比べて非常に広い視野をもつことである。

 すばるは、観測目的に合わせて、カセグレン焦点、左右2つのナスミス焦点、主焦点という4つの焦点を使い分けている。一般の天体望遠鏡の代表的なものは主鏡と副鏡の組み合わせによるカセグレン焦点だが、これは主鏡に入った光を副鏡に反射させ、それによって得られる焦点で鮮明な画像を撮る方法である。ナスミス焦点も、主鏡と副鏡を組み合わせる点において原理はほぼ同じと言ってよい。

 これに対して主焦点は、主鏡のみの反射光で結像させる方法である。しかし、主鏡のみの場合、視野は広がるものの、球面収差(*1)やコマ収差(*2)のために星の像がぼやけるなどの欠点が生じる。そこで、主焦点で天体観測する際には、主鏡で反射した光が直接焦点を結ぶところに屈折レンズでできた光学装置を置き、2つの収差を同時に補正しなければならない。これは「主焦点補正光学系」と呼ばれ、すばるの広い視野と高い分解能を特徴づける決定的な役割を果たしている。

 主焦点補正光学系を用いたすばるの視野角は約30分になる。30分とは地上から見た満月の端から端までを一度にとらえることのできる角度だが、望遠レンズではさほど広いと思えないこの視野角も、大型望遠鏡では、“超”がつくほどすごいということになる。

 たとえば、全天を観測するのに視野角6分のカセグレン焦点では約2,500年の歳月を要するが、主焦点補正光学系なら100年で取り込むことができる。それほど視野に差が出る。これを1990年に打ち上げられたハッブル宇宙望遠鏡(*3)と比較すればどうか。ハッブルが観測に140時間を要する範囲を、すばるはわずか1時間、しかもその10倍もの集光能力を持つ。

 主焦点補正光学系を用いることで、すばるは驚くほどの高性能と効率性を得たことになるわけだが、それは同時にキヤノン社の光学に関する技術投入がなければ実現し得ないものだった。

*1 球面収差
 レンズの中心付近に入った光と外側を通った光では、結像する位置が異なる。これを球面収差と呼んでいるが、主鏡のみの望遠鏡ではこうした収差がよく起こるため、一般には主鏡と副鏡の2枚を使って収差をとる方法がとられている。


*2 コマ収差
 コマ(別名:軸外球面収差)は、光軸上以外で焦点を結ぶときに起こるレンズの収差 のこと。なお、コマの語源は、ラテン語でコメット(彗星)を意味し、光軸から外れた点における収差像の形をさしている。


*3 すばる建設計画
 光学天文連絡会にて、海外適地に口径5〜10メートルの望遠鏡を建設することが確認され、日本の大型光学赤外望遠鏡計画がまとまった。(『世界最大の望遠鏡「すばる」』(安藤裕康 著)平凡社1998/12による)

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製品化に向け、SOプロジェクトが発足

 

「世界一の天体望遠鏡をつくろう!」
 この掛け声のもと、すばるの建設計画がスタートしたのは1984年のことである(*4)。世界一とは、口径8.2メートルの主鏡をつくることはもちろん、先に述べた主焦点補正光学系を用いて広視野角・高集光力の性能を持たせる意味も含んでいた。

 当時も今も常に話題に上る前者に比して、後者はあまり知られていない。しかし、日本の国立天文台には、当初から主焦点補正光学系に注目し、その光学装置がどうしても欲しいと切望した成相恭二を中心とする天文学者たちがいた。

 成相らは主焦点補正光学系の設計と製作の可能性を探るため、84年にキヤノン社の門を叩いている。そのとき相談に応じたのは、日本の光学設計理論の充実に寄与した最大の功労者の一人で、当時キヤノンの理事を務めていた松居吉哉だった。

 その松居らがすばるの光学設計や観測装置の検討に協力する意向を示したことから、キヤノン社内では後に全社横断的なタスクフォースに発展する検討グループができ、本業の合間を縫って、“ほそぼそと”研究が進められるようになる。

 89年、国立天文台が「大型望遠鏡計画説明書」を作製したことで、翌年には国から建設予算が下りる。これによってすばるの建設計画は一気に加速するのだが、一方、キヤノン社内でも、主焦点補正光学系に関する設計と製作技術に的を絞った検討が始まり、94年には天文・宇宙に夢馳せて参集した12名のメンバーからなるSOプロジェクトが発足する。SOとは、スペース・オプティクス、すなわち宇宙光学のことである。
 このプロジェクトの目的の一つが、それまで検討を重ねてきた主焦点補正光学系を製品化することにあった。つまり、社として正式に受注したわけだが、この大任をおおせつかったプロジェクトチームの指揮をとったのが横田秀夫だった。

 横田はキヤノンに入社して以来、レンズ事業部に籍を置き、オートボーイをはじめとするコンパクトカメラなどの民生商品を長く手掛けてきた。92年からはもっぱら衛星に搭載する光学装置の開発に当たり、地球観測衛星TERRAに搭載された熱赤外望遠鏡の開発に取り組んでいた。 「工業的にできるものかどうか。何しろサイズも形も今までつくった経験のないものでしたから」
 国立天文台から提示された設計案を見て、横田以下、SOプロジェクトの技術者たちは一様にそのような思いを抱いた。机上の理論を技術者の経験に基づく理論に置き換え、形にしなければならない。現実に製品化するための技術的なハードルは決して低くはなかったが、しかし、「光学メーカーの威信にかけても、“世界一”の要求に応えなければならなかった」。

*4 ハッブル宇宙望遠鏡
 アメリカ航空宇宙局(NASA)が1990年に地球周回軌道上に設置した宇宙に浮かぶ天文台。重さ11トン、長さ13.1メートル、主鏡の直径2.4メートルで、高度約600キロメートルの軌道をまわる反射望遠鏡。名前の由来は、宇宙が膨張していることを突きとめた天文学者エドウィン・ハッブルの名前から。

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未経験のサイズに目測を誤る

 

 大気圏内に入った天体の光は、波長によって屈折率が異なることから色づいて見える。大気分散現象と言っているが、国立天文台の設計案では2個の張り合わせプリズムを逆方向に回転させ、望遠鏡の高角度に合わせた補正効果を得る方法がとられていた。ただ、この方法では大気分散を補正するためだけに4枚のガラスを使わなければならない。しかも、最も大きなサイズの第一レンズは、要求どおりの高い精度で製作できる限界をはるかに越えており、たとえ製作できたとしても、望遠鏡全体への重量負荷が過大であると考えられ、とても許容できる範囲ではなかった。

 この問題解決ため、チーム内のベテラン光学設計者が新たな解を見つけ出した。国立天文台のプリズム案に替わる張り合わせレンズの採用である。屈折率が同じで、波長分散特性の異なるガラス材料の貼り合せレンズを光軸に垂直に動かすことで、プリズム案と同等の補正効果が得られた。あわせて主焦点光学系前提の収差補正に有効な非球面形状なども見出した。

 設計はクリアできた。しかし、問題は、ガラスの型取り→研磨→蒸着と続くレンズの製造だった。第一レンズのように大きく厚いガラスでは、製造工程の中で急な温度変化が起こると発生する熱応力のためレンズが割れる危険性があった。案の定、その恐れが現実となったのである。初段の加工を終えて、レンズを貼り付けた皿からレンズをはがす時、使用した溶剤の気化熱で表面が急激に冷やされ、レンズが割れてしまったのである。 「劇的でしたね。やられたあという感じでした」

 レンズの製造にかけてはプロ中のプロたちが、初めて扱う大きなサイズと特殊な形状ゆえに、僅かに予測を誤り、ミスを犯してしまったのだった。

 レンズを知り尽くしている横田らにとってそれは不測の出来事に違いなかったが、それでも、製造工程の比較的初期の段階で割れたことは、不幸中の幸いと言わなければならなかった。

「最後の蒸着で割れたら取り返しがつかなかったでしょう」
 横田が心配したのは、むしろ後に控えている蒸着というガラスに反射防止膜をつける作業だった。この時もレンズに熱がかかるために破損する危険があった。冷やすのもそうだが温めるのも問題なのである。
 すばるのレンズはカメラのそれをつくることとは比較にならないほど手間も時間もかかった。最後の工程で破損すれば代替が利かない。すばるドームでの完成式の日取りは決まっており、納期に遅れることは絶対許されなかった。そのプレッシャーは、われわれの想像をはるかに凌駕するものだったことは疑いようもない。
 本来、お椀型のレンズは人間が乗ってポンと跳びはねても割れないほどの強度を持つ。ガラスはなぜ割れるか。「キズがあるから」と横田は言う。

すばる主焦点カメラと主鏡
(画像提供:国立天文台)

「キズがあるとその先端に発生する応力集中によって破損をきたすんです」
 キズがあるガラスで蒸着しても割れなければ、キズがないものは絶対大丈夫。横田はそう確信して、キズだらけのガラスブロックを使った蒸着実験を現場の従業員たちに何度も繰り返させた。そこで割れない加熱・冷却条件を見出し、結果的に蒸着は事なきを得た。

 こうしてできた光学装置は大型レンズ5群7枚からなる。口径520ミリ、総重量170キログラム。

 キヤノンがつくった中ではサイズ・重量ともに最大であったが、当初の設計案と比較して、大きさで約70%、重さにして約50%以上の小型・軽量化に成功していた。

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夢を追った2人の少年

 

 初めてすばるの話を持ちかけられたとき、横田は、「まるでUターンだ」と感じたという。

「不思議なもんですね。私は小学生のころロケットが好きでたまらなかったんです。ソ連のスプートニクやガガーリンにあこがれ、自分でロケットの設計図を何枚も描くほどでした。中学では天体望遠鏡をつくり、高校に入ってからは物理実験の写真撮影に興味が移りました」

 その高校時代、横田はウイルソンの霧箱(*5)に磁界をかけて夜光時計針から出る放射線を曲げる写真を撮影したり、写真の引き伸ばし機をつくるなどしている。大学での4年間は写真部に所属。カメラメーカーに就職したのも自然の成り行きだったと言える。

 カメラ、衛星搭載品、すばる望遠鏡・・・。入社以来キヤノンで携わってきた仕事は、まさしく少年のころたどってきた道を引き返す回帰現象にほかならなかった。

 そもそも小学生の横田をロケットのとりこにさせたのは、ウェルナー・フォン・ブラウンが書いた『火星探検』(*6)という1冊の本だった。フォン・ブラウンは第二次大戦中にドイツでV2ロケットを開発し、のちにアメリカのアポロ計画を推進した人物として知られている。

 フォン・ブラウンは、小学校1年の時ベルリンで初めて見たロケットに感動し、中学時代は、14歳の誕生日に母親からプレゼントされた天体望遠鏡で天体観測に熱中した。

 また、ヘルマン・オーベルトの著書『惑星空間へのロケット』に巡り合ってからは、液体燃料を使えば月に行けると確信し、33歳、夢の実現に向けて渡米した先で、“人類を月に立たせる”計画をリードした。次に、夢は火星へと向けられ、『火星探検』という著書を残している。その本に触発されたのが横田少年だった。

「10年以内に人類を月に送り、地球に無事連れ戻す」
 61年5月、ジョン・F・ケネディ大統領は、アポロ計画の演説の中でそう語った。それから8年を経た69年7月21日、人類は果たして月面に降り立った。

「世界一の天体望遠鏡をつくれ!」

すばる望遠鏡
(画像提供:国立天文台)

 建設計画から14年後の98年のクリスマスイブ、すばるのファーストライト(初めて天体の光を入れて性能確認を行うテスト)がカセグレン焦点を使って行われた。その約半年後の99年5月、横田らのつくった光学装置は無事納品され、8月に主焦点補正光学系による初のテスト観測が行われている。

 かたやアポロ計画、かたやすばる計画。1冊の本に触発された2人の少年は、のちに世界が注目する偉業に関わった。横田がフォン・ブラウンの生き方を意識していたかどうかはわからない。しかし、奇しくも同じような道を歩んだ2人の軌跡がオーバーラップして見える。

 天体望遠鏡づくりなどに没頭していた少年時代の横田は、意外にも天体観測には「あまり興味がなかった」という。当時から40年あまりの歳月が流れた現在、観測結果から導き出される宇宙論には「大変興味がある」と話し、こう言葉を継いだ。

すばる望遠鏡
(画像提供:国立天文台)

「古代文明が暦の作成から始まったように、そして、近代文明が地動説から始まったように、いつも文明は天文台から生み出されているのですから」

 横田は、9月にハワイで大々的に執り行われた完成式をはさんで前後2回、現地を訪れている。仰ぎ見れば、どれがどの星座か判別もつかぬほど、無数の星々が満天を覆い尽くしていた。果てしない宇宙の広がりを目の当たりにして、横田はますます好奇心を刺激されたに違いない。

 環境観測技術衛星ADEOS−Uや光衛星間通信実験衛星OICETSなど、H2ロケットのトラブルで打ち上げが遅れた諸々の計画がこれから実行に移される。

 横田らが手掛けた光学装置が宇宙の分野で活躍し、われわれの日常生活に貢献してくれる日は、もう間もなくである。

 

*5 ウイルソンの霧箱
 霧滴はイオンが核となって形成されることを確かめたイギリスの物理学者チャールズ・T・R・ウイルソンは、その発見をもとに、荷電粒子の飛跡を観察できる霧箱を発明した(1911)。ウイルソンの霧箱は多数の新しい粒子の発見に多大な貢献をするとともに、原子物理学、原子核物理学などにおいて、 粒子の飛跡を検出する最も基礎的な装置として、高等学校の物理学授業でも広く使用されている。


*6 『火星探検』
 原題は『THE EXPLORATION OF MARS』で、ウィリー・レイとの共著(1956年発行)。日本語訳は1958年、白揚社(小尾信弥訳)より発行。チェスリー・ボンステルによる迫力ある挿絵が、本文とともに読者を惹き付ける。

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文/ルポライター 月坂 良


 

国立天文台

  

キヤノン株式会社

 

すばる望遠鏡