|
初めてすばるの話を持ちかけられたとき、横田は、「まるでUターンだ」と感じたという。
「不思議なもんですね。私は小学生のころロケットが好きでたまらなかったんです。ソ連のスプートニクやガガーリンにあこがれ、自分でロケットの設計図を何枚も描くほどでした。中学では天体望遠鏡をつくり、高校に入ってからは物理実験の写真撮影に興味が移りました」
その高校時代、横田はウイルソンの霧箱(*5)に磁界をかけて夜光時計針から出る放射線を曲げる写真を撮影したり、写真の引き伸ばし機をつくるなどしている。大学での4年間は写真部に所属。カメラメーカーに就職したのも自然の成り行きだったと言える。
カメラ、衛星搭載品、すばる望遠鏡・・・。入社以来キヤノンで携わってきた仕事は、まさしく少年のころたどってきた道を引き返す回帰現象にほかならなかった。
そもそも小学生の横田をロケットのとりこにさせたのは、ウェルナー・フォン・ブラウンが書いた『火星探検』(*6)という1冊の本だった。フォン・ブラウンは第二次大戦中にドイツでV2ロケットを開発し、のちにアメリカのアポロ計画を推進した人物として知られている。
フォン・ブラウンは、小学校1年の時ベルリンで初めて見たロケットに感動し、中学時代は、14歳の誕生日に母親からプレゼントされた天体望遠鏡で天体観測に熱中した。
また、ヘルマン・オーベルトの著書『惑星空間へのロケット』に巡り合ってからは、液体燃料を使えば月に行けると確信し、33歳、夢の実現に向けて渡米した先で、“人類を月に立たせる”計画をリードした。次に、夢は火星へと向けられ、『火星探検』という著書を残している。その本に触発されたのが横田少年だった。
「10年以内に人類を月に送り、地球に無事連れ戻す」
61年5月、ジョン・F・ケネディ大統領は、アポロ計画の演説の中でそう語った。それから8年を経た69年7月21日、人類は果たして月面に降り立った。
「世界一の天体望遠鏡をつくれ!」
 |
|
すばる望遠鏡
(画像提供:国立天文台)
|
建設計画から14年後の98年のクリスマスイブ、すばるのファーストライト(初めて天体の光を入れて性能確認を行うテスト)がカセグレン焦点を使って行われた。その約半年後の99年5月、横田らのつくった光学装置は無事納品され、8月に主焦点補正光学系による初のテスト観測が行われている。
かたやアポロ計画、かたやすばる計画。1冊の本に触発された2人の少年は、のちに世界が注目する偉業に関わった。横田がフォン・ブラウンの生き方を意識していたかどうかはわからない。しかし、奇しくも同じような道を歩んだ2人の軌跡がオーバーラップして見える。
天体望遠鏡づくりなどに没頭していた少年時代の横田は、意外にも天体観測には「あまり興味がなかった」という。当時から40年あまりの歳月が流れた現在、観測結果から導き出される宇宙論には「大変興味がある」と話し、こう言葉を継いだ。
 |
|
すばる望遠鏡
(画像提供:国立天文台)
|
「古代文明が暦の作成から始まったように、そして、近代文明が地動説から始まったように、いつも文明は天文台から生み出されているのですから」
横田は、9月にハワイで大々的に執り行われた完成式をはさんで前後2回、現地を訪れている。仰ぎ見れば、どれがどの星座か判別もつかぬほど、無数の星々が満天を覆い尽くしていた。果てしない宇宙の広がりを目の当たりにして、横田はますます好奇心を刺激されたに違いない。
環境観測技術衛星ADEOS−Uや光衛星間通信実験衛星OICETSなど、H2ロケットのトラブルで打ち上げが遅れた諸々の計画がこれから実行に移される。
横田らが手掛けた光学装置が宇宙の分野で活躍し、われわれの日常生活に貢献してくれる日は、もう間もなくである。
|