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この1年間に何人かの人が小椋さんをこの誌で取り上げてはどうか、と推薦してきた。
奇妙な印象を受けたのは、推薦してくれた人の中に70歳を過ぎた人がいたことである。60歳まで中小企業の部長を勤め、その後4年間同じ会社で顧問をし、今は現役から引退している人だった。
その時は「何故?」と問う間もなく別の話題へ移っていったが、音楽とはおよそ縁遠いその人が「小椋佳がいいよ、小椋佳」といつもの遠慮がちな口調とは違う少し強い調子で言ったことを今になって思い出す。どこにも両者の接点を見いだせない中で一つだけ「小椋佳さんもまた、サラリーマンだった」というその人との共通点が浮かび上がってくる。小椋佳さんが私達の前にコンサートという形で姿を現したのは小椋さん32歳の時。その人は45歳。爆発的なヒットとなった「シクラメンのかほり」以後の数年間、小椋さんはマスコミの恰好の標的となった。曰く「エリートサラリーマンにして、売れっ子シンガーソングライター」。その後16年間、小椋さんはサラリーマンであり続けた。その人が現役である間、ずっと小椋さんもサラリーマンを続けていたことになる。どんな時にどんな場所で小椋さんの曲を聴いていたのか。それともその時々どんな曲を作っているかも知らないまま、どこかで自分の歩んできた道と重ね合わせることの出来る唯一のミュージシャンとしてその人の中に在り続けたのだろうか。ラッシュアワーを知っている人、その場から去っていかなかった人、として。
小椋佳さんのインタビューを終えて、少しだけ姿勢が良くなったような気がする。小椋さんは素晴らしく姿勢がいい。どのような時も背筋がすっと伸びている。しかも無理している訳でなく、自然な柔らかさの中でそうなっている。
26年前の最初のコンサートに始まり、銀行退職後テレビなどに登場するようになり、そして今回の取材でお会いして、それら全ての記憶の中で小椋さんの姿は美しいたたずまいだった。姿勢ばかりでなく、その言葉使い、立ち居振る舞い。過剰も不足もない。
小椋さんが人にあたえる印象についての気の配り方は並大抵ではない。昨年出版した「私とカレーの幸福な関係」の前書きで『「である」調の文章で書きたくないのだが、今回は紙数の都合でそうせざるを得なかった。「・・・である」調の文章はとかく偉そうに述べている響きになってしまう傾向がある。それは私の忌み嫌う姿勢でもある。たとえ説教じみたことを書いた箇所があるとしても、私には不遜(ふそん)な想いは一切無いことをご承知願いたい』とわざわざ「です」「ます」調で書けなかったことを断わっている。
どこで誰に聞いたのか、歌い手という職業が誕生した寓話のようなものを聞いたことがある。
遠い昔、ある国で大勢の奴隷たちが過酷な作業を強いられていた。労働に次ぐ労働、そして束の間の休息。一人の若者がその短い休みの間、歌を歌った。その歌は疲れ果てた奴隷達の心に染み込み、皆はひととき疲れを忘れた。休息の時がくると皆は若者が歌うのを心待ちするようになった。ある時誰が言い始めたともなく口々に言い始めた。「おまえは仕事しなくていいから、俺たちが働いている間も歌っていてくれないか。俺たちがおまえの分も働くから」。これが歌い手第一号の誕生だと聞いたことがある。
小椋佳さんについて思う時、何故かこの話を思い出した。
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