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右手に銛(もり)、左手の箱メガネをのぞきこみながら、右手の銛の先で川の浅瀬の小石をそっと動かすと、ハゼが半ば身体を砂に沈めてひそんでいた。一気に銛で刺した。それが放課後のぼくの日課だった。採れたハゼは多くても1日に10尾を超えることはなかったが、その夜の、芋が混じった飯以外にこれといって食うものもない夕餉(ゆうげ)の食卓にのぼった。川の流れにそって竿を動かしながら鮠(はや)を釣ることもあったが、鮠の収穫はハゼほどには多くなかった。
戦争中、山間の寒村に疎開していた。親父は出征していて、いなかった。お袋の着物などを農家に買ってもらって、一家4人、なんとか食いつないでいた。小学校の、まだ3、4年生だったぼくの採ってくるハゼや鮠が、当時の我が家の貴重な蛋白源だった。どんな味がしたのかは、記憶にない。ただ、「小鮒釣りし、かの川」などといえるような、そんな呑気なものではなく、子供心にも、もう少し切迫した気持だったことは覚えている。
戦争が終わって、親父がよれよれになって復員してきた。東京に戻ってしばらくして、疎開先を家族で訪ねたことがあった。昔と変わらず、澄んで、きれいな川の流れを目にして、ひとり黙々とハゼ突きをした日々が思い出された。しかし、そのとき、その川が小川にほんの毛が生えた程度の、ごくごく小さな渓流でしかなかったことがわかり、大切なことで裏切られたかのような、妙な気持になった。
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