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小さな町の世界企業

車両モーターを製造している電機メーカーに飛び込み営業

見るとやるとでは大違い

撤退するか、改革するか

自分たちで使う道具は自分たちでつくれ!

常に考えて行動するアイデアマン

 

小さな町の世界企業

 

 新幹線「のぞみ」。東京〜博多間を5時間内で結ぶ国内最速クラス(285〜300キロメートル/時)の500系や700系車両は、インバーター方式(*1)の交流モーターで動いている。スピードアップをはかるために、車体の材質を軽量のアルミ合金に変えただけでなく、車両を駆動させる屋台骨であるモーターも、小さくて出力の高いものに転換した。モーター1台のサイズ(鉄芯部の直径)は約60センチ、重量約400〜500キログラム、出力約280〜300キロワット。0系や100系などの旧来型新幹線に使われている直流モーターに比べ、サイズは3分の2、重量は2分の1以下、出力はおよそ1・5倍にアップし、メンテナンスもほとんど必要ないほど保守性を増した。
 700系の「のぞみ」の場合、こうしたモーターが16両編成のうち12両に4台ずつ、計48台装備されている。そのモーターの心臓部に当たるコイルのフォーミング(成形)とテーピングの技法に画期をもたらし、今やこの分野で世界制覇を成し遂げようとしているのが、栃木県茂木町という人口1万8,000人足らずの小さな町に本社を構える三和電機である。

「のぞみ」用モーターの鉄芯(コア)。空洞の直径は約40センチ、溝に即して計36本のコイルを収納する。

 

*1 インバーター方式
 直流の電力を電圧・電流・周波数の一定した(または可変の)交流電力に変換する装置。

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車両モーターを製造している電機メーカーに飛び込み営業

 

 三十数年前、福田敏男(現三和電機社長)は、独立開業した会社の工場で、当時隆盛を極めていたトランジスタラジオなどのプリント基板をつくる仕事を請け負っていた。つくれば売れる時代。生産が追いつかず、発注元から支給される部品も、いっぺんに揃うことが少なかった。
 夕方の5〜6時、部品が入ったとの連絡を受けて取りに行くと、明日の朝までに納品してくれと頼まれた。プリント基板に部品を差し込み、カットし、ハンダ付けし、チェックする。徹夜の単純作業が幾日も繰り返された。「こんな仕事、年をとってからできるのか」。頭の中ではいつも不安が渦巻いていた。
 当時、大手弱電メーカーは、安い労働力を求めて海外への工場移転を加速させていた。「しょせん、だれでもできる仕事。1円でも安いところへ流れていくのだ」。
 福田はそれを痛感した。もっと安定していてじっくり取り組める仕事はないものか。そう考えていた矢先、仕事仲間から情報を得て、旧国鉄の車両モーターを製造している電機メーカーに飛び込み営業した。トイレの帰りに作業場をのぞくと、70名ほどの従業員たちが談笑しながらモーターのコイルに絶縁テープを巻いていた。その光景を目にしたとき、「こんな簡単な作業ならうちでもできる」と思った。聞けば、1本1,500円で受注しているという。プリント基板は苦労して仕上げてもせいぜい80円。単価の差に驚き、「やらせてください」と頭を下げた。
 応対してくれたのは外注課の係長と工場の係長だったが、たまたまそばで話を聞いていた課長が、福田の工場近くを流れる那珂川に毎年アユ釣りにくる趣味があった。意気投合し、コイルのテープ巻きを任されることになった。

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見るとやるとでは大違い

 

 700系の「のぞみ」車両に使われているモーターのコイルは、導線を束ねた長方形の輪の両端をひねったような亀甲型(約60センチ×20センチ)をしており、通常はこれを36本、かっちりとコア(鉄芯)に収納して1台のモーターを完成させる。当時と今とでは扱う車両モーター(コイル)のタイプは違うが、当初福田は「見ると実際にやるのとでは大違い」と、仕事を安請け合いしてしまったことを後悔した。
 コイルのテーピングは、ハーフラップといって、幅1・5センチ、厚さ0・1ミリの絶縁テープを半分ずつ重ねるようにして巻いていく。しかし、均一に、しかも3回重ね巻きにするのは素人には至難の業だった。少しでも厚く巻きすぎるとコアに入らない。逆に、薄く巻かれていると数千ボルトの電圧に耐えられない。10分の1ミリの誤差も許されない精密な作業。何度もやり直す効率の悪さは、残業・徹夜という時間の増量でカバーするしかなかった。
「熟練するまでに最低3年、10年で一人前。それくらいかかると言われました。基板をつくっているほうがまだ採算が合っていたでしょうかね」。

三重にテーピングされた「のぞみ」用のモーターコイルはユニークな亀甲型だ。

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撤退するか、改革するか

 

 それでも、従業員の努力に支えられ、受注が途絶えることはなかった。旧国鉄は赤字続きとはいえ、毎年ベースアップがあり、下請けも間接的ながら長くその恩典に与かってこられた。しかし、87年に分割民営化され、さらに数年後にバブルが崩壊したころから雲行きが怪しくなった。
 コスト、モーターの重量、納期。すべてそれまでの半分にせよとの“2分の1運動”が始まった。その衝撃は、86年8月、茂木町一帯を襲い、福田の工場を水まみれにした逆川(さかがわ)の氾濫に匹敵するほどだった。
 工場は1メートルの浸水にあい、半製品も部品もほぼ全滅。仕事はできず、従業員に給料も払えない状態が半年間続いた。危機的状況に追い込まれたという意味において、大水害も2分の1運動も同じであった。
「もうこの仕事をやめるか、そうでなければ思い切って改革するか。2つに1つしか選択肢がありませんでした」。 数十人の従業員の生活を考えれば撤退するわけにもいかず、おのずと「打って出よう」の結論にまとまった。もはや手作業でやっていける状況ではない。熟練工でなくとも作業ができる自動機がつくれないものか。福田は苦境下にあって次の戦略を練っていた。

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自分たちで使う道具は自分たちでつくれ!

 

 コンピュータ制御の自動機(フォーミングマシンとテーピングマシン)で効率化と省力化をはかろうと思い立った福田は、最初、このマシンの製作を外部の設計会社や加工メーカーに委託した。しかし、失敗つづきで3年を費やしても満足のいくものはできあがってこなかった。
 福田は、トランジスタラジオの基板を請け負っていた頃、資金の乏しさゆえにベルトコンベアーすら手づくりするような経験を積んできた。それと同じ発想で、「自分たちで使う道具は自分たちでつくれ」と、93年10月、技術系の幹部や従業員を総動員させてマシンの開発に着手した。ソフト部門にも力を入れる必要があったため、同年同月ソフト会社も買収した。
 設計から始めてわずか4ヶ月、3年間の失敗は何だったろうと思える迅速さで納得のいくマシンが完成した。苦肉の策で開発したこのマシンは、成形したコイルに“手作業の何十倍のスピード”でテープを精確に巻き付けた。これが後に世界を席巻する商品として独り立ちすることになるとは、福田をはじめ、社員の誰もが予想できなかったに違いない。
 94年7月、たまたまイタリアの同業者から勧めがあって、ミラノで開催された展示会にマシンを出展した。韓国から視察に来ていた大手メーカーがまず触手を伸ばした。これを皮切りに米国やカナダなどのメーカーからも注文が相次いだ。最初は営業用カタログに見向きもしなかった国内大手電機メーカーが、次々と海外の動きに追随していった。
 欧米、中国の大連、台湾、インド、韓国、モンゴル・・・。現在、三和電機の開発したマシンなくして、車両モーターの製造はほとんど考えられない。米国にある世界最大の電機メーカーとの取引きもまもなく始まろうとしている。

手で巻くのに比べ、作業効率を何十倍にも高めたテーピングマシーン。

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常に考えて行動するアイデアマン

 

 苦境に立たされてから、一か八かで突き進んできた。海外進出のきっかけをつくった展示会の席で、ヨーロッパのある営業マンが19種類のコイルを抱えて、「全部に巻けるか」と聞いてきた。「できる」と軽く答えたが、実際には5種類しか巻けなかった。そのときの、身のすくむほどのけたたましい怒りように、海外メーカーとの取引きの厳しさを思い知らされた。
 国内大手電機メーカーから、失敗をいつまでもグジュグジュ責められたことも一再ではなかった。そうした苦い体験を下地にして改良を重ね、世界中のどのメーカーよりも価格の安い、シンプルで、性能が高く、壊れにくいマシンとそのシステムをつくり上げた。
 福田は、従業員たちに「常に考えて行動しろ」と言い聞かせている。しかし、「失敗を恐れるな」とも言い続けてきた。
「過去と他人のことは変えられないが、未来と自分のことは変えられる」。それが福田の持論である。
 創業時、「三人でスタートしたから三和電機だ」と社名の由来を福田は笑って話す。その3人のうちの1人、今日まで30年あまり苦楽を共にしてきた生産技術課長の羽石省一は、福田を「アイデアマン」と言い、信長の果敢さ、秀吉の機転、家康の慎重さを備えた人物と評価する。
 三和電機の、ここ10年での成長ぶりには目を見張るものがある。その邁進する速さは、やはり新幹線「のぞみ」なみというべきであろうか。

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文/ルポライター 月坂 良


 

三和電機