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新宿オペラシティのリハーサルルーム。初日。自分で運転してきたトラックを搬入口につけると、指揮者自らステージ作りのための資材を降ろし始める。早めに来たメンバーが資材の運搬、雛壇の設置を行っていく。コントラバスやチェロが載っても耐えられるだけの丈夫な重量のある厚手の合板が数十枚、それを支える台(箱馬)が大量に運び込まれる。箱馬の上に合板を敷きつめることで雛壇を作り、本番と同じ条件を作り出していく。1つ1つ演奏者の位置を確認しながら、演奏台を修正し、椅子、譜面台の位置を確かめていく。譜面台に置かれる楽譜はこの2ヶ月の間に指揮者自身が作成したものだ。隙間なく五線譜が並べられた市販の楽譜から一段ずつ拡大コピーして切り貼りする。譜めくりの時に演奏に支障を来さないよう、各パートの休みの箇所がめくりの場所になるよう配慮されている。眼に優しいように少しクリームがかった色の紙を特注している。練習の時に、散らばった楽譜を集めても直ぐにパートが分かるようにパート毎に表紙の色を変えている。こんなことまで指揮者がやらなければいけないのか、という思いがよぎる。こうした様々な配慮がされているのも、演奏者が音楽だけに集中できる環境を可能な限り作りたいためだと気付いたのはリハーサルが始まってからだった。そう、それらが語っていることは「演奏では一切手抜きをさせないぞ!」だった。
リハーサルが始まる。曲が始まった途端の停止。演奏者ごと名指しの注意、説明。同じ場所を繰り返すうち、次第に語気は荒くなっていく。ほんの2、3秒の出だしの部分だけでどれ程の時間をかけただろうか。ニュアンスをピアニカで吹いてみせ、どのような思いを込めて演奏するかの比喩があり、叱責があり、罵倒があり、時に笑わせ、嘆き、ついには哀願がある。ようやく納得があって、そこを通過しても何小節か先で再び止める。威嚇、戒め、叱咤、激怒、肯定、悲嘆、失意、謝罪、激励、合点、納得、称賛、感謝。人の持つあらゆる感情、表情がそこにある。
そうしながら、ほんの少しずつ先へ進んでいく。曲の深み、意味を伝えていくのに、その部分のメインの奏者が一種の生贄になる。1人を罵倒しながら全員に伝えているのだ。
リハーサル初日の指揮台に上がった瞬間が勝負です。必ず奏者との葛藤があります。中には、ごねる人間もいます。100人を救うためにクビにするか、それもひっくるめて100人を引っ張っていくかっていうことになる。それは、毎回の様に淡々とやらなきゃならないことなんです。働かないヤツも、働いてる人間も平等に扱っていかなきゃならない。そういう理不尽なことがあっていいんだろうかと。
開始、停止の繰り返しが際限もなく行われ、少しずつ楽曲のテーマ、そこに込められたものについて理解が行き渡り始めた時、演奏は止まることなく走り始める。おそらくは細部で問題点を残しながらも、全体を把握させようという意図があるのだろう。
辞めていった人間が不思議に私の音楽的な悪口は言わないんです。厳しすぎるとかいうようなことは言います。厳しくせざるを得ないです。人に商品を聴かせるためには、あいまいな音だったら、人は眠くなって、金を払ったことを損だと思います。失望した気持ちと時間はどうやって償うんですか。精神的に手を抜いたものに聴衆は納得できないです。ここへ来た時間をどうしてくれるんだと、こうなった時にお金で返す訳にはいかないんです。だから、それを私は楽団員に要求するんです。ミスを怒ってるんじゃないと。本当の芸術家っていうものはテクニックはプロで、精神は初心でいることであると。
休憩時間、翌日のリハーサルに出席できないメンバーがその旨を伝えに来る。 「私に断ってもしょうがない。チャイコフスキーに断ってよ」
ティンパニー奏者で、フロイデフィルのマネージャーも務める斉藤伸江さんはプレーヤーの立場から話す。
「手を抜いて弾く人がいる。指揮者(宇宿さん)がそれを指摘すると『やっぱり』と、他の奏者としてはスッとする訳なんですよ。だから自分たちもやらなきゃいけないという気持になるんですね。 一番後ろのメンバーにまで『何やってるんだ!』と怒る。通常、後ろに行けば行くほど常任でないメンバーがいて責任を持っていないんですけど、指揮者の考えは違うんですね。『アシスタントや後ろのメンバーが一番上手くなくてはいけない』と説明するんです。そうすると、だんだんメンバーの意識が変わってくる。外から見ていたら酷いことを言っているように思うかもしれませんが、メンバーとしては非常に納得がいくんです。だからみんな帰らないんですね、過酷な練習やってても。
例えば他の指揮者が『お前らバカヤロー!』なんて自分のオーケストラに言ったとしたら、『何だバカヤローとは!訴えるぞ!』って始まると思いますよ。絶対に指揮者(宇宿さん)のところでそれはない。あの人が言われるのは当たり前だと。と言っても、いざ自分が言われるとパニックになるんですけど、あんなに言われて辛いんじゃない、とか誰も言わないんです。そこが決定的に違うところで、誰もが厳しいと感じていると思うんですけど、本当にもしかしたら、一番いい練習だなって思ってるのはメンバーかもしれません」
指揮者(宇宿さん)はメンバーに自分の意図をひたむきに伝えながらも、「『お前たちも怒れ!』と言っているんです。怒れば、怒った以上にやらなければならなくなる」
その都度選ばれるメンバー。今回はオーケストラ編成、約100名。フリーのプロ、大学生。レギュラーもいれば、数回目、中には初めてという人も混じっている。ベテランも新人も報酬は同じである。
オーケストラの中で、弾ける人間と弾けない人間、一番と二番と、どうして同じギャラにしなきゃならないのか。ベテランの方がやる気なくなるんじゃないかと。あんなヤツと俺と一緒のギャラかということになると思います。非常に金銭的なことで悩むんですけど、私は今のところ、ギャラは同じにしています。例えば、ほんの何人かの学生がやりたいと言って来ます。学生だからということで、ギャラをなくしたり下げたりすると、学生だから、という気持ちで弾くんです。「だって私は学生として先生がOKされたんですから、これ以上は弾けません」と。
フロイデフィルの場合、常にコンサート開催の資金調達と向き合ってきた。過去幾度も開催が危ぶまれ、休止の危機にも見舞われている。家財を売り払って経費にあててきたが、それも尽きた。資金捻出に奔走してきた疲労感が、どこかしら滲んでいる。
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