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倉紡の発祥の地である倉敷紡績所は、女子大への転用計画などが持ち上がりながらも最終的には、その工場建物をホテル・レストラン・広場・工房などに再生利用して、宿泊施設と文化施設が一体となった倉敷アイビースクエアとして1974年に生まれ変わった。
建物の計画にあたってのオーナーからの要望は、次のようなものだったという。(*2)
| 1) |
(i) |
倉敷およびその周辺の文化を全国の人々によりいっそう深く理解していただくと共に、 |
| (ii) |
倉敷の地にふさわしい日本の伝統工芸を実習を理解していただくことを目的とした、ユニークな宿泊設備と文化施設を実現する。 |
| 2) |
産業文化財としての価値の高い旧工場建物とその周辺のたたずまいをそのまま保存する。 |
| 3) |
急増している倉敷来訪者のニーズにこたえる。 |
この要望は、倉敷を地方のモデル都市にと構想していた大原総一朗の遺志を継ぐものであり、200mに足らない倉敷川河畔に集中する観光客の人々のニーズに応えつつも、倉敷のより深い理解と地方文化育成を行おうとする高い理念に基づいた計画であったといえる。そして、 倉敷アイビースクエアの設計にあたった浦辺鎮太郎その人も、大原総一朗に私淑し、建築を通して倉敷の街作りに大きな貢献をした人であった。
工場の建物は、石敷の床、蔦の絡まった山陽鉄道型レンガのイギリス積の壁に瓦葺鋸屋根が特徴であった。建物の計画に先立って、東大生産技術研究所・松村貞次郎研究室による詳細な調査が実施されている。その調査報告(*3)によれば、明治22年に竣工した当初工場は、数次におよぶ増、改修によって、物的には殆どその原形をとどめていないが、その位置は変わっておらず一部壁体煉瓦その他に当初の材料構造が含まれていると報告されている。よって、外形そのものに記念性があるというよりも、その位置および一部材料・構造等に、創始者たちの創業の精神とわが国紡績産業史上の価値を設定することが適当であるという判断から、当改修計画が策定されている。
改修は、工場建物を間引くことによって広場を設け、ホテルとしての機能を満足するように採光や通風を確保し、そしてアイビー学館という展示スペースのみは、工場内部をそのまま保存した。解体によって発生した石材・木材・ガラス・瓦は、建物の様々なところで再利用され、中庭を取り囲む新設の連続するアーチに貼られたタイルは、既存のレンガ壁と連続するように色だけでなく、目地までレンガ積に似せて貼られている。工場の室内温度上昇を防ぐために植えられたという蔦、広場に残る柱の礎石、土蔵造りの原綿倉庫三棟を改装し1969年に開館した倉紡記念館など、空間のそこかしこに散りばめられた歴史の記憶が総体となって、倉敷アイビースクエアのやさしく穏やかな雰囲気がつくりだされた。
| (*2) |
PROCESS:Architecture 31 倉敷:浦辺建築事務所 1982年 プロセス・アーキテクチャア |
| (*3) |
都市住宅1974年8月号 鹿島出版会 |
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