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特集・スペシャルインタビュー 見せないことで見えること
index -2004 WINTER Vol.32- POWER OF TWO 医学博士 向井 万起男
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カバーストーリー
特集:向井 万起男
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PROFILE
私風景 〜shifukei〜
タクミのシクミ 〜異業種に学ぶ〜
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ファシリティーズ最前線
編集後記
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 かつて、この人は「宇宙飛行士の亭主」だったことがある。本人がいたる所で言ってきたのだから、認めるしかない。
 向井万起男さん(56歳)。慶応義塾大学病院、病理診断部部長。 医学部助教授。
 1998年10月、宇宙飛行士、向井千秋さんを乗せたスペース・シャトル、ディスカバリー号がフロリダ州、ケネディ宇宙センターから打ち上げられた。残された家族とディスカバリー号の乗組員が交信をする日、その家族たちの中にオカッパ頭、赤いハッピ姿の高揚した日本人がいた。
 その姿は、その人が千秋さんの旦那さんであるというコメントとともに日本のTVニュースで流された。
 その過剰とも見えるパフォーマンスから、妻である千秋さんばかりがスポットを浴びる中で「宇宙には行ったことないけど、俺だって、俺なんだかんな! 文句あっか?」 という悪戯っ子の底抜けの稚気と、千秋さんを誇りに思う純粋を感じ取った人は少なくない。
 その頃、千秋さんとの出会いから結婚、最初の宇宙への旅立ちまでを綴った「君についていこう」(文庫版)がにわかに売れ始める。同時期に「女房が宇宙を飛んだ」を上梓。 おぅそうか、やっぱり宇宙か、あくまで女房か、そうかそうか、と言っていた連中の顔色が変わった。軽妙、洒脱、機知、溌剌。その筆力に驚いた出版社が一斉に向井さんの元へ走ったのではなかったか。
 女性が社会で活躍することを支援する団体の講演会も次々とこなした。重いものを軽い言葉に託す話術と野球で言えばファールぎりぎり、ライン上にボールを落とす内容に誰もが引き込まれた。昨年、読書日記などを盛り込んだ「ハードボイルドに生きるのだ」が出版される。
 そして、気がつけば「宇宙飛行士の亭主」から「向井万起男さんの女房は宇宙飛行士」に変わっていた。
 今も東京とアメリカ・テキサス州ヒューストンに分かれて暮らす2人。向井さんには、国際電話をかける至福の時間、病理医としての厳しい日常がある。

 





 
本人に会わず、その人の体をもっともよく知っている仕事

 病理医。患者から採取した組織を顕微鏡で観察し、病気の診断を下す医師である。慶応義塾大学病院・病理診断部では年間、約19,000件の検体組織を診断する。中でも診断の難しいものが向井さんに回されてくる。
 「精神科医になろうと医学部に入ったが、コロッと変わって病理医以外にはないと。病理医は全ての病気の原因となるものを調べることができる。全科の全ての病気を知るのがおもしろいと思いましたね」。 病理医は不思議な存在だ。膨大な数の患者の組織を顕微鏡で観察しながら、今までにただ一度も患者本人に会ったことがない。しかも、その患者の一生を左右しかねない決定を行っている。反対に院内でいえば、病理医ほど全ての科の医師とコミュニケートする部署はない。他科の医師同士で同じ病院にいながら、会ったことがないということも稀ではないのだ。その意味では病理医は中枢であり、ジェネラリストと言える。

 皆で見る顕微鏡室があるんです。そこで場合によってはチームワークでやりますし、難しいやつは、みんな私が見ます。デジタルの世界じゃない、完璧にアナログの世界なんです。細胞一個見たら分かるわけじゃないんですよ。細胞の配列がちょっとこう乱れているから癌、とかね、そういうこともある。ある程度の量がないと分かんないわけですよ。見る人によっても、このくらいないと分かんないという人もいれば、ある人はこのくらいで分かると、いろいろ差があるじゃないですか。
 例えば胃の粘膜にしても、取る量は少ない方がいい。どれだけ小ちゃくなっても分かる、というのが大事なんですよ。知っている人でも、全体を見れば直ぐその人だと分かるけど、その人の爪の先だけで分かるかといえば、微妙でしょ?

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経験、そして直感力

 積み重ねと直感力。一瞬の内に頭の中で帰納演繹をやりきれるかどうか。顕微鏡の向こうに組織の形、色が見える。一瞬見て、他の人にはない特長は何なのか。その微妙な違いの中に異常を発見する。色彩感覚、形態に関するセンス。しかし何より大切なことは人間的なやさしさを持つということ。分からないことがあった時、簡単に決めてしまうような人間は失格である。言うべき時と言ってはいけない時。場合によっては、その間にも病気は進行していってしまうケースもあり得る。躊躇は許されない。兼ね合い、間合いの取り方が非常に難しいという。
 「分からない」にも様々な「分からない」がある。採取した量が少なすぎて「分からない」。急を要していて標本を急いで作ったため汚くて「分からない」。「自分でも分からないが他の誰にも分からないだろう」というケース。「自分には分からないが、世界であの人なら分かる」というケース。そういう時は採取した組織をしかるべき所へ郵送して診てもらう。
 1週間後に分かればいいというケースも多いが、手術中に分からないといけない緊急の場合もある。そのケースでは手術室と顕微鏡室がホットラインで結ばれる。手術中に手早く採取された組織が運ばれ、観察する。手術室では診断部での観察、診断結果を待ち、その後の手術方針を変えることもある。

 これもまたね、凄い決断を要するんですよ。これやらなきゃいけないの。これ逃げられない。結論を言わなきゃいけないの。きちっと責任持って決断するんですよ。それは結構厳しいですよ。自己責任で、「たいへん微妙だから撤退してください」とかね。後でゆっくり時間をかけてきちんと標本作って、いろんな検査をすると、はっきりするんですよ。こっちから要請することがあります。「分からないからやめて欲しい。手術やめ」。その代わりご本人とその家族に言っておく。「分かった段階でまた手術してもらう」と。そんなこともありますよ。

 病理医の実力は、ホットラインの診断で顕著に出るという。誰かに意見を聞いたり、ディスカッションしたり、参考書や論文を読んでから決断を下すという訳にいかない。その場で決断して自己責任をとる。人間としての力がストレートに出る。
 おのずから、人に接する時も厳しくなる。妥協を許さない。会いたいと連絡をして きた人が、約束時間に5分遅れてきた。一生その人とは会わないという。毎日が綱渡り。人の人生、運命を変えるようなことをしている自覚。

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医学生・講義・口頭試問

 現在も年に数回、医学部の学生に講義を行っている。

 その専門の人間が教えるのが、最もよく分かっているわけですから。結構怖いですよ、僕。学生には凄く厳しいです。教室内での私語も程度問題だけど、あまりに限度を超えたやつは教室から叩き出しますからね。問答無用、「出てけ!」ですよ。結構ありますよ。こっちもね、講義の時に何かノートを見るとか、まるっきりなし。そのくらいの準備しなきゃ、学生に失礼でしょう。約2時間半ぶっ通しでやるんですよ。休憩時間なし、立ちっぱなし、マイク持ちっぱなし、しゃべりっぱなし、ビシバシあてていく。
 学生とはね、個人的関係は絶対結ばない。仲良くならない。教師は超然としているべきだっていうのが僕のスタンスなので、学生とは教室外では一切付き合わない。 医者になったら別ですよ。彼らが若い医者になったら。
 口頭試問やる時は、なるべく公平にするために、どんどん聞くんですよ、多種多様な問題を。えらい時間をかけて。1問だけなんてそんな不公平なことしませんから。
 その後で、自己採点させる。5人いると、まず一番目のやつに、質問が終わったところでABCDを付けさせる。Dが落第点。じゃあ、おまえ自分はAからDのうち何だ?って言わせるんですよ、自分の採点を。その次に仲間の他の4人についても採点させる。これを全員に繰り返すんです。僕の採点とあまりに違ってる場合は怒ります。どう見てもそいつが一番悪いのに「僕はAです」なんて言うとぼけた奴がいるわけですよ。そういう時は机叩いて怒りますから。ふざけんな!てめえって。そういう「おまえちょっとちょっと」っていうのがいます。
 反対にすごくいい成績の学生がいる。超Aみたいな。誰が見たってそいつが一番で スーパーAなのに「僕はBです」とかいうのが。許さない、怒鳴り散らす。「医者はそれじゃ駄目だよって、『生意気な』とか、そういう風には俺は取らないんだから」と。医者は1人で決断しなきゃいけない時があって、「俺が正しいんだ」って主張しなき ゃいけない時があるから。そういうのを僕は絶対許さない。がんがん行きます。「謙 遜は美徳といってもね、それでは駄目だよ。医者ってやっぱりね、いざとなったら自分の名誉と命をかけて決断するんだよ、おまえ」って。自分を過少評価しても、過大評価しても、僕は凄く怒るから、すると周りのやつが「これはいけねえ」って思うわけですよ。真剣に採点しなきゃっていうんで、みんな僕と同じ点数を言ったりする。
 非常に面白いのはね、今の学生は駄目だ駄目だとかっていう人が多いけど、甘やかさない状況を作れば結構まともなんだって。モチベーション作ってあげれば、正しい判断とか正しい言動しますって。

 全部終わったところで僕の採点を言うわけですよ。その違いをディスカッションします。最後には必ずみんな納得しますよ。
 試験の時もね、発声が悪かったら、また机叩いて怒るんですよ。まともに声出せ!このやろう! とか言って。すごいんですよ、怖くて。声が小さくても怒ります。 はっきり聞こえないなんて、もってのほかですよね。医者として失格ですから。「患者に説明してるつもりで聞こえなかったらどうすんの?」って言う。
 それから、甘ったれた声出す奴。ふざけるんじゃない。おれはおまえの恋人じゃないんだから。女は1オクターブ下げろって言ってるんです。それ常識。普段より仕事についたら1オクターブ下げろ、と。

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熱中できるテーマを探すことに熱中

 東京育ち。話す言葉は歯切れ良い。中学校から慶応義塾に進学し、高校、大学、病院、と43年間、慶応ひとすじ。「小学校6年の時、火事場のくそぢからで勉強して、その後、受験勉強がなかったっていうのは大助かり!」
 野球と読書。向井さんの人生の2大要素。メジャーリーグを通じてアメリカンカルチャーに触れた。親は読みたい本を何んでも買ってくれた。本を読むか、野球をするかの日々。医学部を卒業後、病理学教室に入る。与えられたテーマを退けながら、ようやく自分が熱中できるテーマにぶつかる。日曜でも研究室に通う熱心さで研究に没頭し始め、次々と論文をアメリカの科学雑雑誌に投稿し発表し続けた。
 約10年、その時期は千秋さんと知り合い、友から親友、大親友に変わっていく時期とピッタリ重なる。

 研究しましたよ。名誉欲だとか権力欲とかほとんどないから、自分で好きなものしかやらなかった。普通テーマを与えられたら「はい」ってやるものですけど、テーマを与えられてもやりませんでしたから。自分の本当に好きなテーマを見つけて、20代から30代の半ばくらいまでですかね、研究論文乱発してたの。次から次へとアメリカの科学雑誌に発表してましたね。まあ広い意味での癌についての論文ですけど、一番、燃えていた時期ですね。書きまくってましたよ。功績という意味ではたいしたもんじゃないが、アメリカの一流科学雑誌が取り上げる程度の意味はあったですかね。雑誌に載ったのが送られてくるじゃないですか、送られてきたら真っ先に女房にあげてましたよ。

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いっさい部下のじゃまはしない

 僕は常に言いたいことを言い、好きなことしかやらないという僕のスタンスを許してくれたボスとめぐり合ったのは大きいですね。他の大学の知人に話すと「アンビリーバブル!」と言いますからね。教授が与えたテーマを蹴っちゃうとか、「興味なし」とかって言ってたんですから。これは本当にラッキーだと思う。
 私自身がそういう恵まれた中をきましたから、部下たちには絶対好きな事やらせます。いっさい邪魔しない。必ず背中押してあげますよ。自分で自分の人生切り開いたら、後で後悔の度合いも少ないでしょ。「好きなことやんなさい」って言ってんの。

 本当に好きだからやってるっていうのが、この病院には集まってますよ。好きじゃなかったらやってられないんだって、過酷で。でもね、忙しくて辛いからって弱音を吐く奴はいないよね。まあしょうがないかあ、みたいな感じですよ、みんな。自分がやってることが好きっていう集団なので、それで成り立っているところが大きいと思いますけどね。僕も顕微鏡見んの、めちゃくちゃ好きですから。どんなストレスがあっても顕微鏡覗くだけで、なくなっちゃうんですから。

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千秋さんに会ってから

 社会で仕事を続ける千秋さん。それを見守る向井さんの思いを綴った本が売れ始めると、仕事をする女性を支援する団体などから、講演の依頼が殺到した。若い頃、それも千秋さんに会うまでは、むしろ普通の男性以上に女性に対して偏見があったかもしれない。それが千秋さんと知り合い、やがて結婚する中、次第にその思いは変わっていく。

 日本では女性が「思う存分」活躍できるようになんかなってないの。なにしろ男が全然変わんないんだから。女性が活躍できるようになってもイイと男は一応言うけど、あくまで「ホドホドに」活躍してくれっていうこと。「思う存分」活躍するのは、自分とは無関係のところでして欲しいということですよ。
 「思う存分」活躍したい女性に一つだけアドバイス。1人で頑張るのはやめなさい、強い味方を1人だけ手に入れておくことですよ。旦那さん、もしくはオフクロさん。何もかも自分でやるなんて無理なんだから、だったら家族の中に強い味方を手に入れておくに限りますよ。

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空っぽ、ほんとうの空っぽ

 向井さんの「女房」向井千秋さん。言うまでもなく日本初の女性宇宙飛行士である。 1994年、1998年の二度、スペースシャトルに乗って宇宙へ行き、様々な科学実験を繰り返した。
 向井さんに千秋さんのことを訊ねると、モノスゴク嬉しそうで、モノスゴク寂しそうで、モノスゴクいとおしそうなのだ。この「モノスゴク寂しそう」というのは、現在も続く離ればなれの暮らし。結婚して17年、その間一緒に暮らしたのは僅か2年半。今も千秋さんはアメリカ・テキサス州・ヒューストンにあるNASAのジョンソン宇宙センターに勤務している。

 向井千秋さんは、どのくらい型破りの女性なのか。
 結婚した日、向井さんの住む部屋へバッグ一つで「こんばんは!」とやってきたこと。結婚した当初、食器は機内食で出る器を使っていたこと。単身アメリカに渡り、アパートを借りて住み始めた時、家具類を買うのが面倒という理由で、押し入れや床に直接寝ていたこと。結婚したての頃、ジーンズ一本しか持っていなかったこと。

 「女房は普通の女の人が持っていないものを持っている、というんじゃないんですよ。普通の女の人が持っているものを全く持ってないんですね。『空っぽ』でいること。これは勇気いると思いません? 」

 2人とも仕事を辞めたら、世界を長期間かけて気ままな旅をする。向井さんは思い描く。そう、向井さんはなりたがっているのだ。「かつて宇宙飛行士だった女性の亭主」に。

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20年以上前、「パワーズ・オブ・テン」という短編映画があった。
アメリカ・ミシガン湖南部、湖畔の小さな公園で
ピクニックする男女。昼寝する2人。
カメラはそのシーンからグングン離れていき、
宇宙まで飛び出していく。
一転、宇宙の彼方からカメラは地球に近づき、
眠る男の手の中へ入っていく。
細胞、そして原子核へ。不思議なことに、
そこに広がる光景は、宇宙へ飛び出していった時、
広がっていた宇宙空間と近似している。
万起男さんは細胞の中の宇宙へ、千秋さんは宇宙の中の宇宙へ。

夢の果てに野球場がある。
ノーアウト三塁、バッターは日本人病理医、
三塁ランナー女性宇宙飛行士。
一打サヨナラのチャンス。ピッチャーが投げる。
鋭くスイングするとボールは高々と舞い上がる。
右中間最深部へ向かって、上昇を続けながらゆっくりとボールは飛んでいく。
たとえ捕球されても、サヨナラ犠牲フライになる距離。
三塁ランナーはゆうゆうホーム(家)に還ってこれる。
もうゲームの行方は決まった。
だが、あまりにもボールが高く上がりすぎて落ちてこない。
捕球されないことにはタッチアップできないのだ。
観客が帰り、両チームの選手もシャワーを浴びて球場を後にした。
バッターとランナー、2人だけのしんと静まり返った球場。
右翼手と審判は捕球の頃を見計らって球場に戻ってくるはず。
ボールはゆっくりゆっくり落ち続ける。頭上にはフロリダの抜けるような青空。


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