FUSION NTTファシリティーズ NTTファシリティーズのホームページ
五稜郭
index -2004 WINTER Vol.32- まぼろし博物館
表紙・INDEX
カバーストーリー
特集:向井 万起男
私風景 〜shifukei〜
タクミのシクミ 〜異業種に学ぶ〜
まぼろし博物館
SIDE STORY
EXTRA
見られたくない/見られたい
ファシリティーズ最前線
編集後記
BACK NUMBER

アンケートにご協力ください

交易の地・蝦夷地 国際都市函館
北方の防衛 遅れてきた城塞
幻の都市計画 日本の夜明けに


交易の地・蝦夷地

 古記録などから、蝦夷地に和人が渡来したのは、およそ鎌倉時代頃と推定されており、本格的に定着するようになったのは、南北朝時代から室町時代頃とされている。慶長9(1604)年に松前慶廣が松前藩を創設し、蝦夷地経営を行うこととなり、寒冷地であることや耕作等による自給自足もままならなかったことから、藩政は本州との海上交易によってまかなわれた。
 18世紀後半頃になると急速に商人が台頭するようになり、「北前船」商法が発達し、弁天船を操った商人の往来が活発になって、江差港を中心に松前、函館の三港が賑わい繁栄するようになった。18世紀末にロシアが交易を求め使節を派遣してくるようになると、北方警護から幕府は全蝦夷地を直轄した。文政4(1821)年に一度は松前藩へ返還されたもの、寛永6(1853)年に来航したペリー提督率いるアメリカ艦隊やロシアのプチャーチンなどにより、翌安政元(1854)年に下田と函館の開港が決定、これにより幕府は再び蝦夷地を直轄し、函館に奉行を設置した。

このページの先頭へ


国際都市函館
奥州箱館之図

 奥州箱館之図を眺めてみると、開港後の函館の様子を詳細に伺い知ることができる。中央に函館山を配しそのふもとに街が広がり、その街中にはイギリスをはじめとする各国の領事館があり、右手には函館湾に出入する船に睨みを効かせる弁天岬台場、左下隅には五稜郭も描かれている。また函館湾には、北前船と共にロシア、アメリカ、イギリス、オランダの船が浮かんでいる。他の開港地(下田、神奈川、神戸、新潟、長崎)は、後背地が大きいゆえに外国人居留地がつくられていたが、後背地のない函館だけは唯一居留地がつくられることなく、街の中に各国領事館がつくられていた。それゆえに函館の街には、奉行所の役人や商人町人に混じって、ロシア人やアメリカ人、イギリス人などやアイヌの人々が闊歩し、まさしく異文化が身近に交流する国際的な都市だったといえよう。

このページの先頭へ


北方の防衛
箱館奉行所

 当初、箱館奉行所は函館山のふもとに設置されていたが、外国の攻撃に対する防衛上の問題から弁天岬に台場を建設することと、内陸の亀田の地に奉行所を移転することが決定され、安政3(1856)年に弁天岬台場、安政4(1857)年に亀田御役所土塁(五稜郭。以降五稜郭)が着工し、双方とも7年後に完成している。
 設計は伊予(愛媛県)大洲藩士で緒方洪庵の適塾などで学んだ武田斐三郎、工事を請け負ったのは箱館在住商人の佐藤半兵衛・山田寿兵衛・杉浦嘉七、越後(新潟県)の松川弁之助、江戸の中川伝蔵、備前(岡山県)の石工喜三郎だった。日本の城郭建築技術は、徳川幕府が新たな城の築造を許さなかったために、実質的には近世初期に止まってしまっており、この五稜郭建設は、洋学の知識と民間でつちかわれ継承されていた土木技術の経験を持った人材によって実現したものである。築造工事の請負人は入札によって決められ、また品川台場を建設した職人たちが登用された。
 五稜郭は、外国船の艦砲射撃を避けるために、古砂丘(*1)によって遮蔽された低地に建設されている。当時の艦載砲の射程がおよそ3km程度であることから、五稜郭の建設地はそれぞれの海岸線からおよそ2.5kmの亀田の地に決定された。外国船を監視する奉行所の望楼(*2)のみが高く、大砲による砲撃戦に備えた土塁(*3)は地を這うように低く設計されている。
 その城要のかたちは、稜堡(*4)による相互の援護射撃によって防御の際の死角をなくす目的から、稜堡が鋭角に飛び出した星形五角形となっている。それは16世紀から17世紀のヨーロッパの城塞都市をモデルとした西洋式土塁であり、5つの稜堡を持った郭と独立した1つの半月堡(はんげつほ)(*5)からなる稜堡式の形態で、高さよりも多くの人員を収容しうる広さと防備的な死角を減らした西洋式築城理論によっている。これはフランスの築城家ヴォーバンの系統を引く、フランス式の城郭と考えられている。当初の設計図をみると半月堡は5つあるが、費用や時間的な問題から1つだけを実現することで終わっている。この土塁は西洋式であったが、その郭内につくられた箱館奉行所の建物は日本式の木造建築であった。

(*1) 古砂丘:約5〜10万年前に形成された古い砂丘
(*2) 望楼:遠くを見るために立てたやぐら
(*3) 土塁:土を盛り上げて築いた土手状の防御施設
(*4) 稜堡:城塞の死角を無くすために鋭角に突出した防御施設
(*5) 半月堡:稜堡の側面援護と守備隊の出撃拠点の機能を果たす施設

このページの先頭へ


遅れてきた城塞
五稜郭初度設計図

 ここで1つの疑問がある。その城塞建設において、なぜ200〜300年も前の城塞形式を採用したかということだ。この時期、銃火器はめまぐるしい進化を遂げている。実際箱館戦争の折、五稜郭への艦砲射撃を行った官軍の軍艦である「甲鉄」の艦載砲は、射程約4kmのアームストロング砲であり、また「甲鉄」は喫水線の浅い艦であったため海岸に接近し射撃を行うことが可能であった。そのため、箱館奉行所の望楼が艦砲射撃の的となり、旧幕府脱走軍の降伏を早めたとされる。つまり稜堡式城郭による防備という考え方は、実のところ大砲の高性能化により世界の軍事的思想からは遅れたものだったのである。
 それでもなお五稜郭に純粋な幾何学形をした稜堡式の形態を採用したのは、機能的な与件に加え、その形態が持つ象徴的な意味によって採用されたのではないかという説がある。ヨーロッパの人々が滞在する開港地箱館において、五稜郭が軍事的な施設であるということを彼らに一目でわからせるために、彼らが容易に認識しうる形式をその城塞に採用したというのだ。

このページの先頭へ


幻の都市計画
五稜郭之図 三分十間

 箱館奉行所には約200人の人々が働き、五稜郭の北側には彼らとその家族が生活する屋敷群がつくられていた。五稜郭の建設された亀田の地は、ネコヤナギの生い茂る野原であって、そこに1つの小さな街が忽然と出現した感があったことは想像に難くない。
 さらにこの五稜郭建設を軸として、新しい都市を建設しようとする形跡も残っている。五稜郭完成後、函館山から五稜郭を結ぶ直線上その鬼門の位置に当たる上山村に、五稜郭を鎮護する目的で東照宮が建立される。その位置は函館山から五稜郭を結ぶ直線の延長線上にあり、また唯一建設された半月堡もその直線の上にあって、その意図的な計画性には風水に則った都市計画が見え隠れする。これは江戸幕府の崩壊によって、歴史の幻と消えてしまったが、それは函館の背骨のようにその後の街の発展の方向軸を指し示しているようで興味深い。

このページの先頭へ


日本の夜明けに

 明治2(1869)年箱館戦争終結によって、鳥羽・伏見の戦いに始まった戊辰戦争は終結し、明治国家が本格的に始動しはじめる。五稜郭は明治政府兵部省所管となり、明治4(1870)年に奉行所庁舎をはじめ郭内建物の大半が解体された。明治6(1872)年からは陸軍省の所管となり、大正2(1913)年に函館区へ無償貸与され、翌3年に公園として一般開放された。また、大正11(1922)年に国の史跡となり、昭和4(1929)年、郭外が追加指定され、昭和27年に国に特別史跡に指定された。
 ついに五稜郭は、その建設の目的である外国からの攻撃ということでの砲火は交えずに、公園へと変身した。その史跡は、函館市民に手ごろな大きさの憩いのスペースを提供し、また冬のイルミネーションや市民の野外劇場として、文化的な有効活用が積極的に図られている。
 函館には、幕末から明治にかけての文化を伝えるたくさんの歴史的な建造物が存在し、函館市の豊かな観光資源を形成しており、五稜郭もまたその一翼を担っている。この街は、歴史的な書割の街ではなく、文化財に指定された建物に並んで民家が立ち並び、人々の生活の息づかいが感じられる生きた町並みを形成しているところがすばらしい。五稜郭も市民に憩いの場所を提供することによって、第二の美しい人生を歩んでいる。

このページの先頭へ


写真提供/市立函館博物館・市立函館図書館・(株)道映
※本ページに掲載されている写真の無断掲載を禁止させていただきます。著作権は提供元に帰属します。



参考文献
1990年特別展 五稜郭 in ヒストリー   市立函館博物館
平成12年度特別展 五稜郭 北のそなえと洋式城郭   市立函館博物館
平成15年度特別展 箱館海戦記 海と陸 箱館戦争と軍艦   市立函館博物館友の会
五稜郭・箱館戦争   市立函館博物館友の会
ガイドブック 函館の文化財   市立函館博物館友の会
日本の要塞   株式会社学習研究社
火器の誕生とヨーロッパの戦争 (バート・S・ホール著)   平凡社
大砲入門 (佐山二郎著)   光人社NF文庫


 

まぼろし博物館
われわれ人間は、長い歴史の中でさまざまな「モノ」を創造し、世に誕生せしめました。その一方で、その優れた技術を披露する機会もないまま消えてしまったり、人知れずひっそりと灯火を燃やし続ける「モノ」たち…。古今東西の中からそんな「幻の名品・珍品」を探しだし、今あらためてその魅力に迫ります。

 
アンケートにご協力ください
SIDE STORY EXTRA
TOP おしまい