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古記録などから、蝦夷地に和人が渡来したのは、およそ鎌倉時代頃と推定されており、本格的に定着するようになったのは、南北朝時代から室町時代頃とされている。慶長9(1604)年に松前慶廣が松前藩を創設し、蝦夷地経営を行うこととなり、寒冷地であることや耕作等による自給自足もままならなかったことから、藩政は本州との海上交易によってまかなわれた。
18世紀後半頃になると急速に商人が台頭するようになり、「北前船」商法が発達し、弁天船を操った商人の往来が活発になって、江差港を中心に松前、函館の三港が賑わい繁栄するようになった。18世紀末にロシアが交易を求め使節を派遣してくるようになると、北方警護から幕府は全蝦夷地を直轄した。文政4(1821)年に一度は松前藩へ返還されたもの、寛永6(1853)年に来航したペリー提督率いるアメリカ艦隊やロシアのプチャーチンなどにより、翌安政元(1854)年に下田と函館の開港が決定、これにより幕府は再び蝦夷地を直轄し、函館に奉行を設置した。
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