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工場では約7m四方の塩ビコーティングされたガラス繊維のテント地を、高周波ウェルダーで1枚1枚、2百数十枚溶着して作業を進める。その1枚の布地は一反物を5枚つないでできていた。膜屋根全体の大きさを考えると、気の遠くなるような地道な作業の積み重ねである。
しかし、着工から納品まで薮野に与えられた時間はわずか45日。各工程の細かい所要時間を綿密に積み上げ、全工程を計算した。もちろん当時パソコンなどない。すべて手計算でやった。溶着の機械は1台。毎日24時間フル稼働してギリギリというのが答えだった。薮野と仲間たちの45日、1,080時間の闘いが始まった。
彼は自分のことを「人に厳しい」と評するが、この時ばかりは本当に心を鬼にした。納期までに完全なものを上げる。そのためにはすべてが「問答無用」だった。半分は「やけくそだった」とも言う。「今日なすべきことを明日に延ばすことなかれ」。常に自分に言い聞かせながら仲間たちを叱咤激励した。一時に製造にかかる作業員はわずか4名。交代制はとっているが過酷な日々の連続だった。
ある深夜、薮野が仮眠から戻ってみると、照明が煌々と灯りBGMもかかっているのに誰も人がいない。テントをめくってみると、あまりのつらさに皆その中で思わず寝込んでしまっていた。その姿を見た時は「かわいそうで、ほんまにつらかった」と振り返る。しばらくそのまま寝かせて「もうええやろ」という頃に叩き起こした。周囲は皆、彼のことを本当に鬼のように思っていたらしい。しかし人に厳しいだけではなかった。作業員は交代するが、監督する薮野は毎日仮眠を3時間ほど取るだけ。愛妻と幼な子の待つ我が家へは帰らなかった。何よりも作業員たちの健康状態とケガが心配だった。
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