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「だいたい まんなかをいけ」
index -2004 WINTER Vol.32- 養老 孟司
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特集:養老孟司
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私風景 〜shifukei〜
タクミのシクミ 〜異業種に学ぶ〜
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編集後記
BACK NUMBER

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言葉は真っ直ぐにやってきて、そのまま柔らかく心に届く。
常識、真っ当、道理。
歩く時に右足を出したら次に左足を出すというような。
組織。仕事。教育。若い世代。子どもたちについて。
そのことに新鮮を感じるほど、
私たちは「当たり前」から遠く離れた地点まで来てしまったのか。
養老孟司さん(67歳)解剖学者。
澄んだ目の「憂国」。反骨の「真っ当」。
この人が語ることそのものが、この人自身を語ること。
限られたスペースにこの人の言葉を目一杯、置いてみよう。
足さないまま、引かないまま、
流れの勢い、透明度を、
失わず、濁らせないままに。
どんな形容もこの人の言葉の前では無力だ。

 



ヘタクソに真似ている 読めないところで生きる
どこが私に合った仕事ですか 『知る』ということ
おあずけしない子どもたち 僕は絶対に忘れない
愛するゾウムシ


 
ヘタクソに真似ている

 会社も社長とか部長とか言わずに、親分とか子分と呼べばいいんですよ。親は親の分、子は子の分。じゃあ、課長はどうするんですかって言うから、それは若頭、とか言えばいいじゃないかってね。それじゃあ先生、ヤクザじゃないですか、なんて言われましたが。
 そういう風に言えば、まともに戻るんじゃないか、何も古いものがいいって言ってるんじゃないんですよ。親は親の分を守れ! 子は子の分を守れ! って言うんですよ。

 会社とか政府とか人間の作るものをオーガニゼーションって言うんですけど、オーガニズムという言葉からきている。「有機体」という意味。有機体というのは「生きもの」そのもののことですよ。
 これ実にうまく秩序がたっていて、エネルギー取り込んでいろんなもの出して、それ自体は一見変わらない姿で経過するでしょ。それを真似て人間はいろんなものを作るんです。会社も生きものでしょ。会社っていつもそこにあるように見えて、よく見ると成分はどんどん入れ代わっている。そういうものを生きものは営々として作るんですよ。
 だけどそれは生きものとしての自分よりは不完全。なぜかといえば頭で考えるんだから当たり前ですよ。頭は全部じゃない。生きものが最初から持っているものを人間は頭で考えて全部付けていく。人間はまだヘタクソに真似しているだけですよ。

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読めないところで生きる

 世界は秩序だけでは成り立たない。どこかに無秩序を捨てなければいけない。簡単に言うと部屋の掃除と同じなんです。部屋を掃除したらゴミが出るでしょ。そのゴミを置いた部分はイヤっていう程汚れている。だからこっちはきれいになる。
 例えば、意識活動した時に脳にはゴミが溜まる。寝てる間にそのゴミを片づけないと元に戻らないんですよ。寝てる間にゴミを片づけるんですけど、それにはエネルギーがいる。意識活動は必ず等量のゴミを出してしまう。
 人間は知恵を持っていて意識があって秩序的で、無秩序のない社会を作れると思っているけど絶対に作れない。だからエネルギー問題であり、公害問題であり、資源問題なんです。
 秩序は必ず裏に同量の無秩序をはらんでいる。それを一番上手にやっているのが生きものです。排泄するし、炭酸ガスを吐き出すし。それを長い時間かけてやってきて、なるほどこういう風にできるんだなあ、と。それを今の人が根本から理解しているとはとても思えないですね。
 人間が何もかも読めないということは幸せなことであって、ある限度から先は読めなくて当然であって 、「読めないところで生きる」 ということを今の日本の社会は失っている。

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どこが私に合った仕事ですか

頭部スキャン

 今の人は「 私に合った仕事 」なんて言い方をする。
 いつの間にか誰もが、仕事は自分の為に存在しているっていうように思い込むようになったんです。仕事というのは社会のためであって、自分のためじゃないんです。世の中に必要だから、やるんでしょ。やるからには応分の報酬が還ってくる。今じゃそんなこと誰も思っていませんよ。
 私は解剖を45年してきた。解剖というのは死体がいるんですよ。死体というのは自分で作る訳にいかないから、生きているうちにお約束して、その代わりいつでもどこでも伺いますからご連絡して下さいって言うんですけど、本人が連絡してくる訳ないじゃないですか。
 だから生きているうちに、ご家族にもみんなハンコ押して貰わなきゃならないんですよ。それを献体と言うんですけど、いつでもどこでも伺うと言った以上、元旦だろうが大晦日だろうが行かなきゃいけない。
 一度元旦に行ったことがあるんだけど、5階建ての屋上のプレハブ小屋に安置されていた。正面玄関から出ようと運んでいたら、「それは困ります。元旦ですから非常階段から出て下さい」と言われた。運転手さんと非常階段を使って降ろしながら「これじゃ死体が増えちゃうぜ」なんて言いながら降ろしたんです。
 50体集める。解剖が終わると焼き場で焼く。一週間かかる。遺族に連絡して、慰霊祭に来るか、お骨を届けるかの確認をとる。そうやって一連の仕事が終わる。これのどこが私に合った仕事ですか?

 その日の解剖を終えて、死体をビニールに包む。
 翌日ビニールを取り除くと、昨日終わった所から全然進んでいない。当たり前の話。 誰かが手伝ってくれる訳じゃない。自分がやった以上でも以下でもない。解剖はやっていくと最後はバラバラになって、何も無くなる。そこが画や彫刻と違うところ。解剖は売れない。
 じゃ、なぜやっているのか?
 「修行」だと言う。最後は本人が作品になる。

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『知る』ということ

 性格は一生変わらない、と自分で判断してしまう。自分で判断すると、人間は意見を変えたがらない。
 本当の自分。「これは私だけの意見よね。私には個性がある。ちょっと人と違った考え方がある。ちょっと違う感性がある。これが私の存在している価値だ。世界にたった一つの私」。今の人が頑固な理由がわかるでしょ。
 そういう風に思い込んでいる自分と、そういう風に思い込んでいる親と、そういう風に思い込んでいる先生と三者集まったらどこに教育が成り立ちます?
 ずーと思ってきた。教育の価値の低下。誰も先生を大事にしないし、もうどうでもいい世界になってしまっている。当たり前の話で、「本当の私の価値は変わらないところにある」と思っているんだから、教育は飾り付けですよ。学歴は付けるものになってしまった。誰も大学に行って本気で勉強しようなんて思いませんよ。学歴つけりゃいいんだから。
 教育者は飾り職人になってしまった。本質的に評価されるわけないから、たかが教師になっちゃった。だって変わらない学生をどうやって教えりゃいいの。教えたって変わらないんだから。変わらないことが大事なことになってるんだから。

 結婚して初めて気付いた相手の嫌なところを直そうとすることがある。相手を直すってのは大変なことなんだ。よくよく考えてみると、相手を変える前にてめえを変えるのが実は一番いい。そうすれば相手を変えるノウハウが解るのに、自分を変えようとしない。自分を変えないのは当たり前で、それを変えたら「私」が死んじゃう。個性ある私ですもん。

 「知る」ということは「自分が変わる」ということなんだ。「私、私」でやっちゃうと、物事を知ることができなくなっちゃうんですよ。
 今の親御さんは子どもを学校にやってて、子どもが変わって帰ってくるなんて夢にも思っていないでしょ。何か付けて帰ってくると思っている。飾りを。教師だって「生徒を変えるんだよ」って言ったら「変えるなんて、そんな恐ろしいことを」って言いますよ、多分。

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おあずけしない子どもたち

写真:養老孟司横顔

“今の子どもはすぐキレる”と言われてますが、それは前頭葉機能の低下にあるんです。
 物事を行動に移す最後の関門が前頭葉なんです。「あのヤロー、殺してやろうか」と思ったって、殺さないでしょ。なぜ殺さないかといったら、前頭葉でブロックされるからなんです。全ての入力が最後に筋肉になって出るんですよ。喋るのも手が動くのも、ありとあらゆる出力は全部、筋肉が動くしかないんです。出力するためには、運動に変わらざるを得ないんです。その運動の総元締めというか、運動になって出て行く最後の関門が前頭葉で、そこでブレーキが掛かるんです。
 前頭葉機能が弱いとブレーキが効かないんです。だから、殴るとかそういう行為が簡単にできてしまう。普通、これ、殴ったらまずいんじゃないの? とか思いますよね。

 今の子どもの前頭葉機能低下というのは脳科学ではほとんど証明されている。
 大人で言えば、衝動殺人っていうのは前頭葉機能の低下なんですよ。要するに、かっとして人殺しをするという。アメリカで四〇数人の衝動殺人犯を集めて脳機能を測定した人がいましてね、例外なく普通の人よりは前頭葉の機能が低下していた。
 別な例として連続殺人犯を呼んで測定してみた。全員が前頭葉機能低下はありません。扁桃体をアクセルと考えると、アクセルの踏み過ぎが連続殺人で、扁桃体の機能は正常だけどブレーキ機能の低下が衝動殺人。
 キレるというのは単にそのことで、信州大学が30年前からやっている研究と同じ。子どもたちに赤ランプと青ランプを見せて、赤ランプがついたらボタンを押しなさい、青ランプが点いたら押しちゃいけない、という非常に単純なテストをした。瞬間的に押せということではなく、充分時間をとって押せばいいという、極めて単純ですけどそれを何度かやらせるんですよ。
 そうすると子どもは押したがるから、ランプが点くと間違ったランプでも押しちゃうんです。低学年ほど間違い率が高い。同じ実験を30年やっている。
 それでなんと出た結果が、30年前の小学校2年生の誤り率と6年前の小学校6年生の誤り率が等しい。つまり子どもの辛抱が四年遅れている、というのが判る。押してはいけないというランプが点いた時、同時に前頭葉機能を測定していると、押さないで我慢している時に前頭葉がぐっと活性化されています。つまり、働いています。「おあずけ」っていうことができなくなっています。
 「おあずけ」って犬の訓練の典型じゃないですか。今の子どもは訓練されていないってことです。
 人間は犬じゃないって意見もあるだろうけど。だけど、それは常識として考えていいと思うんです。
 今の子どもは前頭葉がちゃんと働いていない。日常生活がそういう訓練をするようにできていない。
 だって当たり前じゃないですか。リモコンのスイッチを入れたらテレビがつくんだもん。お風呂のスイッチを入れたらお風呂が沸くんだもん。
 私が子どもの頃どうしてたかと言えば、釜で飯炊くのは僕の役目だったんですよ。火付けの紙用意して、薪割って、初めチョロチョロ中パッパ、ちゃんとそれをやるんだよ。朝起きたら練炭に火をつけて、お湯沸かさないと炊事が始まらないんですよ。そういう手伝い全部やらされましたから。そうしたら、物事に手順があって、順繰りやっていかなけゃいけないということがよく分かる。
 ところが今の子どもはそんなこと思っていませんよ。大人が取り上げちゃった。だってお腹すいたって言ったらレンジで「チン」してすぐ出てくるんだから。私みたいにやってきた人間が「チン」を憶えたら便利なんだ。我々にとっては福音だけど、子どもが初めからそんな世界に入れられたらどうなる。辛抱なんかつく訳ないですよ。「便利にすると子どもは壊れる」んですよ。

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僕は絶対に忘れない

 世間一般のことで言えば日々いろんな事が起こるが、「おかしいなあ」と思ったら問題だけを抱えているんですよ。その時に解けなくても。「おかしいなあ」ということだけ憶えておくんですよ。
 そうすると10年、20年経って、ふっと解けることがある。「あっ!」と思う。
 ある疑問が起こった時でも、その場をうまく通過できた時に普通の人はそこで忘れる。僕はそれを「丸める」って言うんです。
 なぜ丸めるかというと、それが未解決のまま記憶に残っていると棘が刺さっている。不愉快でしょ。その不愉快さを消そうとするから仮の答えを出すんですよ。その典型が「世の中そういうもんだ」って。そういう答えを出しておくと経験的な事実として丸く納まって角がとれる。
 そうした瞬間に多分忘れられる。
 僕は絶対に忘れない。自分の頭の中で丸まるまで折にふれて考える。だからこの歳になって人にいろんなことが言えるようになった。そうやっていろんな問題を自分なりに考えてきた。何のために脳味噌持ってんだよと。
 なぜそんなにいろんなこと考えるんですか? って言われるけど、「なぜ考えないんだよ」と言いたくなる。

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愛するゾウムシ

ゾウムシ

 ゾウムシとのつきあいは長い。
 これだけ多くの生物がいるなかで、この小さな見栄えのしないムシになぜ惹かれたのか。

 それは極めて単純でね、僕はマイナスで決めていくんですよ。みなさんはポジティブに決める人が多いんだけど、好きだとか、きれいだとか、かっこいいとか。僕は逆でね、コレクターじゃないんですよ。だから自分のムシを人にあげるのは全然気にならない。好きな奴って持っていくんだ。そうすると段々残るでしょ。一番持っていかないムシの一つがこのゾウムシなんですよ。この歳になると溜まってるんだよ。
 実は大学生の時に調べようと思った。20歳の時ですから、45年経ってる。ゾウムシの事を調べだすととんでもなく奥が深いから入り口で蹴っ躓いて止まっている。
一つの疑問に引っかかったら解けるまで先に行けないですよ。

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取材した日は名古屋で講演会があり、
その午前中と講演後に戻った東京での取材というハードスケジュールになった。
養老さんはかなり疲れていたが、苛立った様子は見せなかった。
最後に近く、いつでも打てば響く明快な答えが戻ってくる養老さんとは違う
穏やかでゆっくりした調子で誰にともなく話し始めた。
酒を毎日飲む。
飲んでる時は何も感じないが、酔いから醒めて来る時、
宇宙と一体になるような感覚を最近持つようになったと。
世界と一つになるような
全ての人に、全ての事に、意味があるというような。

遠くを見るまなざしで。

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