IoTやAI関連の技術進展が続く昨今、ワークプレイスづくりにもデータを活用するケースが増えつつあります。特にAIを用いたビッグデータの分析はワークプレイスづくりにどのような影響をもたらすのでしょうか。これからのワークプレイスづくりに求められる企業担当者の役割とともに、東京科学大学環境・社会理工学院准教授の沖拓弥さんにお話を伺いました。

世の中でビッグデータとAIの活用が進む理由
私は東京科学大学の環境・社会理工学院で、建築計画・都市計画や地域防災計画を専門に研究・教育活動をしています。
私の研究テーマは「ビッグデータとAIによる新たな建築計画手法」です。
もともと私は、大地震時の物的・人的被害のシミュレーションや減災対策の評価に関する研究をしてきました。長らく防災・減災の研究に携わってきた中で、自身の研究室を発足するにあたり、災害シミュレーションの際に利用していたビッグデータやAIを従来とは異なる分野に活かす研究へと軸足を移し、現在は建築計画やまちづくりの根拠となるエビデンスを提供する手法の開発を行なっています。
その一つが、建物や街路への人間の印象を言語化した上で数値化して予測する研究です。建物や街路の画像ビッグデータをAI(深層学習)モデルに学習させ、「安心する」「快適だ」「活気がある」といった印象の項目ごとに数値で評価します。これにより、従来は人それぞれの感覚だと思われていた「人間の印象」を数値化して予測できるようになり、特定の場所の安全性や快適性などを人間の感覚に即して分析・評価することが可能となりました。
昨今、ビッグデータの活用がさまざまな領域で進んでいるのは、社会全体でHuman-centered design(⼈間中⼼の設計)やEvidence-based policy making(根拠に基づく政策⽴案)が求められていることに起因していると考えています。また、計測機器やIoT技術の進化により、データの収集が比較的容易かつ低コストで可能になったこともひとつの要因です。
ビッグデータは、分析結果や予測モデルの汎用性や信頼性を高め、調査や実験の迅速化や、生成AIとの組み合わせによる新たな知識の発見にも寄与します。そのため、この先もビッグデータの活用はさらに広がっていくと思われます。一方で、具体的な分析・活用方法についてはまだ研究の余地があり、私自身も社会実装の手法の開発に取り組んでいきたいと考えています。
なぜ、ワークプレイスづくりにビッグデータが有効なのか
私は日本建築学会のワークプレイス小委員会に参加しており、ワークプレイスづくりにおけるビッグデータやAIの活用についても研究をしています。
私は以前から「ワークプレイスはビッグデータの宝庫」だと考えていました。不特定多数の人が様々な目的で利用する商業施設や公共施設と異なり、ワークプレイスはワーカーの移動や滞在などのデータを取得しやすく、ビッグデータの収集が比較的容易だからです。
たとえば、勤怠管理システムや入退場記録、チャットコミュニケーションのログデータなど、データの収集先となるシステムがすでに導入されていることも少なくありません。そのため、データ収集・活用の許諾は必要になるものの、データの収集や蓄積に要するコストが他の場所に比べて少ないという利点があります。
また、ワークプレイスに関するビッグデータの特徴は、日単位や週単位で周期性が見られることです。たとえば、私は以前、あるワークプレイスで特定の人物の行動ログをビーコンで取得して可視化・分析したことがあります。その際には、同一の時間帯でも曜日ごとにワークプレイスのなかで滞在している場所が異なるという結果が得られました。
この話を聞いてピンとくる方も多いのではないでしょうか。私たちは曜日ごとに似た行動を繰り返していることがあります。月曜日はいつもより一本早い電車に乗って通勤していたり、木曜日は残業をしがちだったりなど、思い当たる方も少なくないでしょう。滞在する空間や時間帯が限定されているワークプレイスであれば、その傾向はより顕著になります。つまり、ワークプレイスに関するビッグデータは、日単位や曜日単位で周期性を有することが多く、周期性が出にくい不特定多数の人が出入りする場所よりも、分析や検証がしやすいのです。
さらに私は、特定のエリア内にレーザスキャナを複数台設置して、人の滞留具合や混雑状況、動線の錯綜、コミュニケーションの発生などを分析する研究も行なっています。こうした分析を行えば「ワークプレイス内のある特定のエリアが設計の意図通りに利用されているか」や「ワークプレイス内での滞留や混雑などを発生させている要因は何か」などを可視化することもできます。
このように、ワークプレイスは多様かつ有用なデータを収集可能な場所であり、その活用次第によっては、より良い働き方やより魅力的な場を確立するための知見が得られるのです。
ビッグデータとAIが「理想のワークプレイス」のイメージを具現化する
では具体的に、ビッグデータとAIはワークプレイスにどのような効用をもたらしてくれるのでしょうか。私が名古屋市立大学講師の佐藤泰氏と共同で行なった研究事例を紹介します。
その研究は「ワークプレイスの印象評価」です。先ほど例に挙げた建物や街路の印象評価に関する研究をワークプレイスに応用したものです。
具体的には、Webアンケートによる相対評価調査と絶対評価調査を実施しました。ワークプレイスの画像を500枚用意し、それをランダムに表示して、ワークプレイスの画像に対する印象を回答してもらいます。これを一定量実施して、その結果をAI(深層学習)モデルに学習させます。そして、さまざまなワークプレイスの画像に対する印象をAIにスコアリングさせ、さらに回帰分析により、その印象を構成する要因を分析します。アンケートの回答の再現精度も検証しました。
加えて、この結果を画像生成AIに学習させることで「リラックスできる」「楽しい」「周囲が気にならない」など、人間が特定の印象を抱くようなワークプレイスの画像を生成できるようにしました。
この研究は、既存のワークプレイスをリニューアルする際に活用できると考えています。例えば、既存のワークプレイスの特定のエリアを「リラックスできる休憩スペース」にしたいと構想していたとします。そのときに現状のエリア画像を画像生成AIに取り込めば、人間が一般的に「リラックスできる」と感じる内装やレイアウトに改装された後のイメージを画像として生成することが可能です。また、この生成AIは人間の印象評価をスコアリングして学習しているため、「リラックスできる」のスコアを上下させた場合のイメージの変化も画像で確認できます。
これを活用すれば、特別な知見や経験を有していなくても、求めるワークプレイスを具体的なイメージとして検討することが可能です。企業でワークプレイスづくりを担当した方の中には、設計者から提示されるデザインの適否に迷った経験がある方も多いのではないでしょうか。「生産性向上」「コミュニケーションの促進」「ウェルビーイングの増進」など、設計者の意図や期待される効果をイメージ図と共に説明されても、デザインと期待する効果との関連性を判断するのは難しいと思います。しかし、ビッグデータと生成AIを活用すれば、人間の印象をスコアリングしたエビデンスに基づいて、デザインを精査することが可能です。
ただし注意しておきたいのは、ビッグデータとAIが出力する結果は「一般解」であり、「特殊解」ではないということです。つまり、ここでのビッグデータは、世の中のさまざまな人々が回答したアンケート結果の集積にすぎず、各社の特徴や事情は反映されていません。また、その結果を学習した生成AIも、あくまで一般的な感覚に基づいた画像を出力しているのであり、それが自社にとって最適な提案とは言い切れません。
そのため、ワークプレイスづくりにビッグデータとAIを活用する際には、社内で追加アンケートを実施するなどして、ビッグデータに自社の特性や個別事情を反映するといったカスタマイズが必要になるでしょう。
従業員の「愛着」を醸成するワークプレイスづくりを
このようにビッグデータとAIの活用は極めて有益である一方、その結果を信じて疑わないことにも問題があります。そのため、ワークプレイスづくりを担当する方には、出力された結果がどのような根拠に基づいているのかに注意を払う癖をつけていただく必要があります。
ビッグデータとAIの関係性は、専門的な知見がなければ疑義を差し挟むことすら難しいと思われています。しかし、分析対象であるワークプレイスの使われ方やその課題、社内の雰囲気や環境については、担当者のほうが誰よりも詳しいはずです。その視点から出力結果を精査すれば、ビッグデータの不備や欠損を指摘することはそれほど難しくありません。
加えて、私はビッグデータを「ボトムアップ型」で活用するのが望ましいと考えています。先ほども述べた通り、ビッグデータとAIが出力する結果は一般論に他ならないため、現場で働く従業員の感覚とは乖離することがしばしばあります。その乖離を埋めないまま、出力結果通りの環境や施策をトップダウンで押し付けても、従業員はついてこないでしょう。そのため、ビッグデータに従業員の意見や意向を反映したり、ビッグデータの活用意義や出力結果を丁寧に説明したりして、ボトムアップで活用していくことが重要だと思います。
近年ではDXブームなどもあり、社内にデータ人材を抱える企業が増えています。そうした人材を巻き込んで、ビッグデータと従業員を繋ぐコミュニケーターとして活用するのもひとつの方法かもしれません。
私はワークプレイスにおいて特に重要なのは「愛着」だと思っています。リモートワークが普及した今、どれだけ最新鋭の機器や快適な環境を整備したとしても、従業員がワークプレイスに愛着を抱かなければ、その場を積極的に利用することはないでしょう。そうした愛着を醸成するためにも、ビッグデータやAIといったテクノロジーを取り入れるだけでなく、データに表れない従業員の意見や意向もうまく反映し、「一人ひとりがワークプレイスづくりに携わっている」という感覚を共有することが、現代のワークプレイスづくりにおいて大切なポイントなのだと考えています。
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