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2024年4月1日

メタバースの活用で働き方はどう変わる?バーチャル空間におけるオフィスの姿とは

  • 稲見 昌彦
    (東京大学 先端科学技術研究センター 教授)
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人々の働き方やオフィスのあり方が急速に変化している昨今、ビジネスにおけるメタバースの活用に注目が集まっています。物理空間とは異なる世界を体験できるメタバースは、私たちの働き方やビジネスにどのような影響を与えるのでしょうか。東京大学 先端科学技術研究センターの教授で、「人間拡張工学」を専門にメタバースを研究する稲見昌彦さんに伺いました。

提供:東京大学 稲見・門内研究室

人々を隔てる「壁」を取り払い、能力を引き出す。メタバースが秘める可能性

私は東京大学 先端科学技術研究センターで、人の身体を情報学の観点から研究する「身体情報学」を研究しています。そのなかでも特に専門としているのが、テクノロジーで人間の感覚や運動能力を拡張することを目的とした「人間拡張工学」です。

1984年のロサンゼルス五輪の開会式で披露された「ロケットマン」をご存じでしょうか。ジェット噴射するバックパックを背負った人物が、開会式の会場を飛び回る演出です。これは人間拡張の一つの例といえます。テクノロジーで人間の能力を拡張し、本来はできないはずの飛行を可能にしているからです。当時中学生だった私は、その映像に衝撃を受けて研究の道を志しました。ロケットマンは、私にとっての原点です。

人間拡張工学の特徴は、人間の身体だけでなくその周辺環境にもアプローチすることです。これは「人間にとって『能力』とは何か」という問いと関係しています。例えば、いかにコミュニケーション力に優れた人物でも、知らない言語が用いられている土地では、いつものように円滑にコミュニケーションを取れないはずです。

このように、人間の能力とは当人に固有のものではなく、周辺環境との相互作用のなかで形作られます。「人間」は「人の間」と書きますが、世界のさまざまな事物と人間の間にあるものも、私たちを構成する要素なのです。そのため、人間拡張工学では、身体の能力を拡張するだけでなく、周辺環境を変化させて人間の能力を引き出す研究や開発も行います。

人間拡張工学の研究事例のひとつ「自在肢」。6つのターミナルを持つベースユニットと、着脱式ロボットアームからなるウェアラブルシステムで、複数の装着者間での腕の「交換」などの社会的インタラクションが可能(提供:JST ERATO 稲見自在化身体プロジェクト・東京大学 先端科学技術研究センター 身体情報学分野 稲見・門内研究室・東京大学 生産技術研究所機械・生体系部門 山中俊治研究室)

この視点でメタバースを語るなら、「周辺環境を変化させるテクノロジー」ともいえます。メタバースを生成AIなどと組み合わせれば、時間や場所、人種、性別、言語など、人々を隔てるさまざまな壁を乗り越えることができます。例えば、メタバース上であれば、身体に障がいを抱える方でも、ハンディキャップを超えてコミュニケーションをとったり、能力を発揮したりできるでしょう。こうした能力の拡張は、人と人とのつながりを活発化させ、巨大な経済効果やインクルーシブな社会を生み出す原動力になります。特に、生成AIの技術が急速に発展している昨今、メタバースが今後の社会に与える影響は極めて大きいと私は考えています。

一方で、現在の社会におけるメタバースは過渡期にあるといえるかもしれません。私はメタバースを「ソーシャルな機能を備えたimmersive(没入的)なバーチャル空間」と定義しています。ポイントは「ソーシャルな機能を備えた」という部分です。メタバースは単なるバーチャル空間ではなく、物理空間における社会的関係も投影されたものでなくてはいけません。つまり、閑古鳥が鳴いていて誰とも出会えず、コミュニケーションも取れないバーチャル空間はメタバースではないのです。その意味では、現在の社会で厳密な意味でのメタバースが普及しているかといえば、疑問が残ります。

ただし生成AIの技術が進化すれば、コミュニケーションの相手になるAIアバターを自由自在に作り出せるようになります。生成AIが生み出したAIアバターが当初はbotのような存在だったとしても、学習を重ねるにつれ、人間と変わらない役割を果たすようになるでしょう。よって、そう遠くない将来にはメタバースも一般化するのではないかと思っています。

体験学習、労働負荷軽減…メタバースが私たちの働き方を変える

ビジネスにおけるメタバースのユースケースとしては、社内研修への活用が挙げられます。あるアメリカの大学では、東京の物理空間をメタバースで再現し、日本語の語学学習に活用する研究が行われています。「地下鉄に乗る」「コンビニで商品を買う」といった、実際の東京の生活を仮想的に体験することで、一般的な学習方法よりも早く日本語を習得できるわけです。

こうしたユースケースは、語学学習はもちろん、営業や顧客対応の研修にも応用できるでしょう。例えば、私が体験したもので言えば、メタバースにクレーマーのアバターを登場させて対応方法を学ぶ「モンスタークレーマー研修」があります。非常にリアルで怖い思いをしましたが、このリアリティは重要なことです。クレーム対応を覚えるために、本物のモンスタークレーマーを連れてくるわけにはいかないですし、研修のたびに担当者が演技をするのも骨が折れるからです。このようにロールプレイングが効果的な研修には、メタバースが役立つのではないでしょうか。

バーチャル空間での稲見さん。提供:東京大学 稲見・門内研究室

また、デザイン思考の実践にもメタバースは有効だと思います。デザイン思考とは、デザイナーの思考プロセスを課題解決や価値創出に用いる方法論ですが、そのなかでポイントとなるのが「他者の視点を取り入れる」ことです。ビジネスでいえば、顧客の視点に立ち、その価値観やニーズを知ることで、顧客にとって価値あるものを生み出せます。

こうした他者の視点を取り入れるには、フィールドワークやエスノグラフィー*1といった学術的手法を使う必要があり、ややハードルが高くなります。しかし、このプロセスにメタバースを活用すると、例えば子ども向けサービスについて検討するとき、自分がメタバース内で子どもになるなど、顧客そのものに変身できます。そしてメタバースで顧客の視点を体験すれば、より深く相手に共感でき、内面を知ることもできます。そうすれば、より多くの人がデザイン思考を実践しやすくなるでしょう。

一方で、メタバースは労働における心理的負荷の軽減にも効果的です。例えば、こんな実験があります。オンラインミーティングでブレストを実施する際に、参加者の表情が実際よりも笑顔に見えるフィルターを画面上に設けます。すると、発案されるアイデア数が、通常の方法でブレストを実施したときよりも多くなりました。参加者一人ひとりの感情表現をフィルターで補正することで、心理的安全性が確保され、よりアイデアが生まれやすい環境が作られたのです。

相手のために自分の感情を抑圧する「感情労働」という概念もあるように、仕事のなかで他者に気を使ったり、感情を押し殺したりすることも、労働負荷のひとつです。この実験は画面フィルターの事例ですが、メタバースを似たような目的で利用することもできるでしょう。人対人のコミュニケーションの間にバーチャル空間やアバターが介在し、それがプラスの働きをすれば、仕事における心理的負荷は大きく減らせるはずです。そして、それは働く人々のクリエイティビティを引き出す効果にもつながります。

インターネットの普及により、私たちの暮らしはとても豊かで便利になりました。しかし、感情労働や心理的な負荷は未だ、社会のあちこちに残っています。メタバースの普及によりもたらされるのは、生活やビジネスにまつわる心理的負荷から解放される社会です。言い換えれば、「情報革命」ならぬ「情動革命」が起こせると思っています。

*1 エスノグラフィー:元々は民族学、文化人類学などで使われている中心的な研究手法。ビジネスシーンでは、調査対象者の生活の場に実際に身を置き、行動を共にしながら観察して記録する調査手法をさす。

メタバースは「なぜ、集まって働くのか」を考え、捉え直すためのツールになる

昨今、メタバースでオフィスを再現する企業施策をしばしば目にします。ぜひ多くの企業にメタバースを活用してもらいたいのですが、既存のオフィスをそのまま再現し、そのなかで従来通りの働き方をするのは、いまひとつのような気がします。

「DX」と「デジタル化」の関係で例えるとわかりやすいですが、DXとは業務を単にデジタル化することではありません。業務内容や業務フローをデジタル環境に適合させる取り組みがあってこそ、DXは実現します。メタバースの活用についても同様で、従来通りの働き方を温存したままオフィスをバーチャル空間に移し替えても、それほど効果は期待できないでしょう。現在の働き方を見直し、メタバースに適する形に再構成する必要があります。

その際のポイントは「構造化の有無」です。ここでいう構造化とは、手順や目的が明確に決まっていることを言います。机に向かっての作業やアジェンダの決まっている会議、上司への報告などは、すでに構造化されている業務といえるでしょう。こうした業務はメールやチャット、オンライン会議などで事足りるため、メタバース上で行うのは、かえって非効率です。

しかし、業務のなかには構造化されていないものも数多くあります。ブレストやアジェンダのない会議がその一例です。一見、こうした業務は非生産的に思えますが、人間の発想を促し、新たなアイデアを生むきっかけになります。そのほかにも、オフィスや休憩スペースでの雑談からイノベーションが起こるケースは少なくありません。このように、人と人とのつながりや新たなアイデアを生む業務には、リアルなオフィスと同じようにメタバースも活用できると思います。

ただ、構造化されている業務とそうでない業務を完全に切り分けるのは、なかなか難しいものです。人間は「今から雑談をしましょう」と合意してから、雑談を始めるわけではありません。アイデアを生むコミュニケーションは往々にして偶発的に発生するため、業務にリアルオフィスやリモート環境と並行してメタバースを活用する際には、業務時間内にメンバー同士が自由なコミュニケーションをとれる時間を作るなど、雑談などから創造性を育むような仕組みが必要になるでしょう。

また、メタバースは「さまざまな物事の本質を捉え直すためのツール」にもなると考えています。働く場としてメタバースを活用すると、既存の価値観やあり方が相対化され、現状の働き方の問題点が浮き彫りになりやすいからです。今多くの企業で議論されているのは、「なぜ、私たちは集まって働いているのか」という問いの根元にある、リアルのオフィスの価値だと思います。こうした本質的な問いを掘り下げる補助線として、メタバースを活用することをおすすめします。

著者プロフィール
  • 稲見 昌彦
    稲見 昌彦(いなみ まさひこ)
    東京大学 先端科学技術研究センター 教授
    東京大学大学院工学系研究科博士課程修了、博士(工学)。電気通信大学、慶應義塾大学等を経て2016年より現職。自在化技術、人間拡張工学、エンタテインメント工学に興味を持つ。米TIME誌Coolest Invention of the Year、文部科学大臣表彰若手科学者賞などを受賞。超人スポーツ協会共同代表、情報処理学会理事、日本バーチャルリアリティ学会理事、日本学術会議連携会員等を兼務。2023年には世界初のメタバースシンクタンク「 Metaverse Japan Lab 」ラボ長にも就任。著書に『スーパーヒューマン誕生!人間はSFを超える』(NHK出版新書)、『自在化身体論』(NTS)他。

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