PROJECT STORY 01 震災対応

プロジェクトストーリー01

「通信を止めない」という使命と責任
東日本大震災による電力・建物等の災害復旧
5人の社員のストーリー

2011年3月11日午後2時46分。マグニチュード9.0という巨大な地震が東北から首都圏一体までを揺るがし、その後最大40メートルにものぼる大津波が東北地方を中心とした太平洋沿岸を襲い、甚大な被害をもたらした東日本大震災。そこで「つなぐ」というサービスを守り続けるために、NTTファシリティーズグループが懸命に取り組んできた、通信インフラの復旧・復興活動について、エネルギー分野・建築分野・スタッフ部門のそれぞれの社員の視点からお伝えします。

エネルギー分野で活躍した社員

経済活動の根幹を担う
東京エリアの通信ビル復旧活動

NTTファシリティーズグループの大きなミッションの1つが、電力・建物の分野でNTTグループの「通信ビル」を守り続けること。通信ネットワークに不可欠な設備を要する「通信ビル」は、まさにNTTグループの通信の要であり、私はその生命線を担う電力を守る存在として日々業務を行っていました。3月11日、東京にある事務所での業務中にすさまじい揺れが起こり、そこにいる誰もが恐怖を感じていました。その後、東京エリアの統括担当だった私は被災状況の確認に奔走する最中、関東地方の広域で停電が発生していることを知り、すぐさま停電対応として、燃料・人員・物資の調達や手配を始めました。私はずっと災害対策本部との連携をとり続け、気付けば家路についたのは、震災から4日後のことでした。そして翌日には業務に戻り、首都圏内で発令された計画停電に向けた通信用電力のバックアップ発電機への燃料手配と供給、さらに発電機が故障という緊急時には、大型のガスタービン移動電源車の出動を保守担当へ指示しました。大型のガスタービン移動電源車で停電している通信ビルへ電力供給することは私自身、初めてのことだったため、手に汗を握っていました。

村上 喬司

1997年入社
NTTファシリティーズ中国 サービス事業部 広島事業部 ファシリティサービス担当
(当時の所属:NTTファシリティーズ中央 東京事業部)

しかし日頃の地道な訓練や試運転といった災害対策が功を奏し、大きなトラブルもなく計画停電を乗り切り、この経験が私の中でも大きな自信になりました。経済活動の根幹を担うとも言える東京近郊の主要な通信ビルの初動・復旧活動に加えて、東北エリアへ応援派遣にも向かい、その後も東京エリアにおける発電機未設置ビルへの設置提案活動など、事後対策まで含めると、震災関連の復旧活動には約1年を費やしました。
なかでも東北エリアでの応援派遣では、ライフラインが寸断する中で、通信の早期復旧が被災地の方の支えになっていることを知りました。自ら指揮した経験や多くの決断の先にある、通信がつながることの重要性を改めて実感できたことで、自分自身の使命感はより強くなっていきました。現在は災害対策室において、この経験を踏まえたマニュアル類の改訂、そしてよりリスクを分散した情報共有システムの開発にも取り組んでいます。今後も通信インフラの安心・信頼を高めるために、この使命感を胸に新たな挑戦を続けていきたいと思っています。

通信ビルの燃料供給を支え、
守り続けた1年間

私は当時、エネルギー事業本部の技術部に在籍していました。技術部は災害対策室要員となっていたため、揺れが収まるとすぐに災害対策室の立ち上げに取り組みました。エレベーターが余震で停まってしまっていたため、必要機材を運ぶために1階から25階まで汗だくになりながら階段を何往復もしました。
そんな最中、地震の影響で東北から関東エリアの広範囲で停電が発生し、震災直後には1420棟もの通信ビルで商用電力の供給がストップしました。通信ビルでは商用電力の供給がストップしても通信が途絶えてしまわないように、蓄電池や非常用発電装置が設置されています。そのため、非常用発電装置を稼働し続けるための燃料手配は最重要事項の1つでした。そこで燃料班が立ち上がり、私はその担当へ。
続けざまに計画停電が決定され、その対応にも当たりました。非常用発電装置の燃料消費料から備蓄燃料でどれだけ運転できるかを考え、燃料枯渇により通信が途絶えてしまわないように計画を立てて、各地へデリバリーを行っていました。非常時で、燃料はどこも不足しており、そんな中で通信を守るために、なんとか燃料を確保するため石油会社等に掛け合い東奔西走しました。
そして3月末からは現地復旧班として仙台へ。
通信装置は一瞬たりとも途絶えることが無いように、

福本 光

2008年入社 NTTファシリティーズ 総務人事部 人事育成部門
(当時の所属:NTTファシリティーズ エネルギー事業本部 技術部)

非常時には蓄電池により駆動するようになっています。つまり蓄電池は通信の生命線であり、災害時における最後の砦だと考えています。ですが、それらは長時間の停電により軒並みダメになってしまい、その数1182組にも上りました。私は宮城県の離島担当だったのですが、島に渡る手段がなく、漁師さんに協力を仰ぐこともありました。地元の方が一番大変な状況の中で、こうしたお願いを快く引き受けていただけたことが、早期復旧の一因でもあると感じています。そしてその後も、枯渇した全ての蓄電池の交換を最後まで見届け、その完了までには最終的に丸1年がかかりました。
被災地の方から「電気もガスも全て止まって真っ暗な中、電話だけが鳴っていて安否が確認できました。電話って不思議ですね」という言葉をいただいたことがありました。元々日本の通信を支えたいという思いで入社して3年、改めて通信を守ることの大切さと使命感を実感した瞬間でした。
また友部さん達たちから頂いた温かいおにぎりが本当においしかったのをよく覚えています。「通信を守る」使命のもと各系が協力しあえることがNTTファシリティーズグループの強みであると実感しています。

建築分野で活躍した社員

「通信を守る」という使命感を再認識した、石巻の光景

私は、NTT東日本の東京支店災害対策室建物班副班長という立場で、東京エリアの通信ビルの状況把握と復旧に努めました。
被災直後にまず行なったことは、緊急の建物点検。たとえば、壁面に大きくヒビが入ってしまった建物では「倒壊や崩落の危険はないか」、「そもそも中に入れるのか」といった不安を抱えた社員の方々からの問い合わせがあり、一級建築士が実際に見て安全性を判断するといった緊急点検を行いました。
その後は、本格復旧方針を検討するための基礎データ収集として、約300ビルの被害調査と、1次応急処置対応を行いました。さらに約半年かけて、これら詳細な被害状況をデータベース化し、本格復旧に向けた修繕・改修工事を実施しました。
東北にも足を運び、私も実際の被災地エリアで状況確認を行いました。中でも被害が甚大だった石巻での光景は、これまで強固な建物を設計してきた私の想像を絶する世界があり、ほとんどの建物が流され、その場所にないという状況でした。ここで自らシャッターを押した石巻の写真は、私にとって、「通信を守る、守る、守りぬく」という使命感を再認識したものであり、今でも大切にしています。
こうした経験を踏まえ、私はその後の安全性・信頼性

北村 圭司

1995年入社
NTTファシリティーズ 総務人事部 人事育成部門
(当時の所属:NTT東日本-東京 総務部)

向上への取り組みを行ってきました。主な取り組みは、大きく3つ。
一つ目は安全という名のDNA継承。今までも真剣に取り組んでいましたが、安全に対する意識は一層高まり、指示系統が存在しなくても若手社員でも災害対策室を立ち上げられるよう訓練を行っています。
二つ目は燃料対策。この震災では燃料で非常に苦労した経験から90万リットルの燃料を貯蓄するタンクを構築しました。100年に一度あるかないかの大地震であっても、信頼性向上に向けた各種取り組みは着々と進められています。
三つ目は津波対策。もともと河川氾濫などの水害から通信を守るための水防板は設置されていましたが、津波も想定し、水防レベルを約4mの高さに設定し直しました。
1階の開口部を全て塞ぎ、2階に玄関を設けることで浸水を防ぐなど、津波はビル構造の概念までをも変えてしまいました。
私はこれまで建築という領域で、設計・維持管理・保守に携わり、自分の仕事の意義や社会的使命感を強く感じてきました。それをもっと人に伝えたいという思いで、現在は人事の採用担当へ。通信を「つなぐ」ことの使命とその重要性を、これからもどんどん継承していきたいと思っています。

復興への強い使命感を支えに、
被災地の最前線で舵を取る

当時、私は東北支店で建築構造を担当していました。突然、尋常でない長い揺れに襲われ、9階にいた誰もがその場を動くことができずにいました。地震の揺れが少し収まると、東北支店ではまず社員全員を地上に集めて主だった者を残して帰宅が命じられ、まずは自宅や家族の安否確認が優先されました。しかし家族の姿を見てホッとしたのも束の間、技術者が必要なのはわかっていましたから、翌朝早くに起きて家のことは妻に任せ、私は朝早く出勤していきました。
震災直後はまず情報収集を行い、重点ビルの初動活動(復興まで至らない調査や対策)に向かいました。1つ1つ建物の点検を進めながら、被害の大きい場所では、コーンやロープで進入禁止にしたり、ブルーシートを張ったり、ビルの外壁が落ちて危険な状態のときは、今ある材料を問い合わせて構造計算を行い、道路で補強金物を作ってクレーンで吊り上げ、緊急補強を行いました。3月17日からは津波エリアに入っての調査を開始。私は中隊長として10名ほどのメンバーを束ね、宮城県内と福島の許可が出ているエリアを回りました。正直、そこは想像を遥かに超える散々たる状況で、言いようもない悔しさがこみ上げてくるばかり。しかし、自分には与えられた職責があるという気持ちで、黙々と通信ビルの調査作業に取り組んでいました。その後、グループ内でも津波エリアに対して一番知識を持っていたのが我々の部門ということで、引き続き、復旧活動を担当し、通信ビルにおける津波災害対策のフローも作成しました。大型ビルであればコンクリートのひび割れ何㎜以上でこういう補強をしなさいといった基準など、できるだけシンプルなフローを心がけ、

谷沢 弘容

1999年入社
NTTファシリティーズ 建築事業本部 都市建築設計部
(当時の所属:NTTファシリティーズ 東北支店 建築・FM事業部)

品質の統一を図りました。そして、これが後にとても評価していただけたことで、私たちの存在意義を感じることができました。その後は復興対応として、津波エリアにおける「置局(新しい通信基地局の設置場所を決定すること)」を軸とした町の復興に、若手を含めたグループで取り組んでいました。「置局」が同じ位置ではまた津波の被害にあうかもしれないので、津波が来ないエリアのここに町が復興して、ここに駅ができ、ここに施設を建設する…、そうしたことをみんなで侃々諤々、熱い議論を繰り広げ、最終的に全部で30棟近くの検討を行い、それが実際の復興にも生かされています。
戦後の荒廃期から高度成長する時代を私は知りませんが、我々の先輩方もあんな勢いで仕事をしていたのかと想像し、私自身も初めて国家目線で仕事をしました。現在は東京に異動し、まだ続けられている東北での復興を伝えていく責務がありますし、お客様の建築設計に携わる立場としては、この建物はどんな責任を果たすべきかという目線でモノづくりに携わっていきたいと思っています。
最後に振り返ると、震災直後に一度帰宅させてくれたことは、その後の災害対策活動を考えると正解だったと思います。家族や自宅のことが把握できたことで、自分の心も安心し、使命感を持って仕事に専念することができました。NTTファシリティーズグループは、通信を守る使命感の前提として、まずは人を大切にする会社であることを実感しています。

私たちスタッフ部門

社員のために、
できることの全てを

私は当時広報担当として日頃から会社からのメッセージを社員に広く伝える役割を担っていましたので、震災直後はすぐさま災害対策本部の立ち上げや社員の活動を動画や写真で記録し始めました。多くの社員が慌ただしく動き回る事務室で、災害対策室長から邪魔だと言われても、記録することが私の仕事だと信じて(邪魔にならないように)撮影を続けたことを思い出します。一方で、総務人事部の一員として災害対策活動支援に入って、社員の安否確認や食糧の手配、被災エリア総務からの依頼の手配などを行いました。エレベーターが止まったビルで、一日に何度も手に持てるだけの水や食料を持って上ったことを思い出すと今でもふくらはぎが痛む思いです。でも私の不便はその程度。被災地で苦労された方や社員を思えば、比較にならないものです。
その後、総務人事部では社員が交代で泊まり込んでの24時間輪番の支援体制が敷かれましたが、私は3月16日からは広報担当としての記録係を兼ね、総務の支援メンバーとして、5月にかけて計4回、被災地の支援にも赴きました。3月の段階では東北支店の総務は、事務所の復旧、整理から本来の業務に加え、支援部隊の受け入れや人員管理、支援物資の整理等も必要であったことからまさにてんてこ舞いになっていました。私たちが本来業務の手助けをすることは難しいので、災害対策活動の支援として、東北支店に到着した支援バスに乗った社員に、宿泊先となる事務所ビルのフロアを案内する受け入れ対応や人員管理等を行ったり、食事も満足にとらずに仕事している多くの社員たちのために、温かいコーヒーを用意したりしていました。

友部 一弥

2004年入社
NTTファシリティーズ 総務人事部 人事育成部門
(当時の所属:NTTファシリティーズ 総務人事部 広報室)

また、被災地の電話局で働いている社員に防寒具や食糧・水の支給に向かっては被災エリアで活躍する社員を記録してまわっていました。本来、記録することがメインの役割でありながら、なかなかそれだけを言ってはいられない状況です。様々な現場を回り、色々な場面を思い出しますが、印象深いシーンの一つに、最大余震の直後に、停電した塩釜ビル(宮城県)の電源救済に向かう1000kWの大きな移動電源車に同乗させてもらって、真夜中に緊張感の高い現場作業の記録を行ったことがあります。
正直、災害対策活動の中心は技術者であることも痛感し、被災地へ行けば、私たちスタッフ部門には仕事が与えられるわけではありませんし、食糧を減らしてしまうだけ。でも、だからこそNTTファシリティーズグループの一員としてできることは何でもやろうという一心で、自分で考え抜き、できる限りのことを率先してやっていました。また、復旧活動の記録はイントラネットにアップすることで、全国の社員の方にも広く知っていただけましたし、今ではNTTファシリティーズグループの復旧活動と使命感を外部の方にも広く知っていただくための素材にもなっています。なにより、復旧活動を最前線で支え、電力や建築を支える社員の姿を間近に見てきたことで、社員の方々を改めて尊敬し、自分自身がここで働き、社員を支えていることに、一層大きな誇りを感じるようになりました。