社会環境の不確実性が急速に高まる中で、企業には今まで以上に強靭でサステナブルな組織を構築することが求められる傾向にあります。一人ひとりの個性や強みを活かし、組織の力を最大限に引き出すには、どのような文化や制度、働く場を築くべきなのでしょうか。これまで大手企業の代表職を担い、現在は一般社団法人の理事、多数の企業へのコンサルティングなどを務める及川美紀さんにお話を伺いました。

社員の「意思の発露」が個性輝く組織をつくる
私は1991年に大手化粧品メーカーに入社し、エリアマネージャー、商品企画部長、執行役員、取締役などを経て、2020年に代表取締役に就任しました。それから2024年末に退任するまで、「個を大切にするDNA」に基づいたサステナビリティ経営を推進するなど、経営トップとして組織文化の変革に注力しました。
現在は、自称「ジョブレスなフリーター」として、一般社団法人の理事や官公庁の委員、大学の客員教授、講演活動など、業界や領域に捉われない活動に取り組んでいます。
これまで企業の代表や理事などを務めてはいますが、私の自己認識は今も昔も「雑用係」です。学生時代は生徒会長などのリーダー役を担ったことは一度もありませんが、キャリアをスタートしてからは、お客様や同僚のどのような困りごとにも向き合う役割を続けてきました。そうした経験の中で培われた能力や思考法が、経営トップに就いてからも活きたように思います。ビジネスの本質とは、煎じ詰めれば「困りごとの解決」なのかもしれません。
その一方で、経営トップとしては困難に直面することが多々ありました。私が代表取締役に就任したのは2020年1月です。当時はコロナ禍によって社会に混乱が広がり、前代未聞の事態に動揺することも少なくありませんでした。誰も「正解」を持ち合わせていないなかで、社員たちから「どうすればいいですか?」という声が続々と挙がる状況に、戸惑いを覚えたのも確かです。
しかし、そうした経験を通じて、貴重な学びを得ることもできました。組織の活性化には経営層のみならず社員一人ひとりによる「意思の発露」が極めて重要であることを知ったのです。
組織づくりにおいては、しばしば、社員の個性の発揮が大切だとされます。前職場も創業以来「個を大切にするDNA」を受け継いでおり、私も個性の重要性はかねてから認識していました。ただし、仕事を続けていく中で、個性とは個人のキャラクターだけを示すものではないと考えるようになりました。個性とは、各人のパーソナリティと「I WILL」、つまり「意思」が共に発露されて初めて、他者から観測可能な形で表現されるのです。
よって、各人の個性を組織づくりに活かすためには、社員一人ひとりが自らの意思を認識し、なおかつ意思を発露しやすい文化や環境の存在が重要ということです。そのため前職では、個々人がその個性や意思を発揮できる組織を築くため、既存の組織文化から制度、働く場に至るまで、幅広い範囲で変革を推進しました。
社員が「意思を発露しやすい組織文化」を築くには
その第一歩として取り組んだのが、組織文化の変革でした。「文化は制度を凌駕する」が私の持論です。いくら優れた制度を設けたとしても、利用しにくい雰囲気や習慣があると、制度は機能せず、意図した効果も得られません。
例えば、日本における男性の育児休業取得率が今なお半数以下に留まっているのは、多くの企業で男性が育休を取る文化が根付いていないからでしょう。そのことからもわかる通り、社員一人ひとりの意思の発露を促すには「意思を発露してもよい」という文化を築く必要があります。
そこで実施したのが「グリーティング」です。これは取締役と社員たちとの座談会のことですが、単にメンバーを一堂に集めて話し合うのではなく、いくつかの仕掛けを盛り込みました。
一例を挙げると、参加者が提出する自己紹介カードには、文字を記入するのではなく写真を貼ってもらいました。「趣味は何ですか?」という項目に「登山」と記入するのではなく、山頂で撮影した記念写真を貼るといった形です。
自己紹介カードに文字が記入されていると、カードに記載通りの内容で解釈してしまい、最低限のコミュニケーションしか生まれません。しかし写真だと、内容について尋ねることでわかることも多いため、必然的に質問や会話が増えます。より旺盛なコミュニケーションを促し、意思を発露できる機会を増やすことが狙いでした。
また、取締役が頻繁に発言すると、社員たちが聞き役に回ってしまい、意思の発露が阻害されやすくなります。そこで、取締役にはできるだけ発言を控えてもらい、社員たちが自由に発言しやすい雰囲気づくりに努めました。
グリーティングを定期的に開催した結果、一定の効果があったと感じています。その理由は、取締役と会えたことよりも、「同僚の知らない一面を知ることができた」などの同僚に関する声が数多く挙がったからです。同じ部署で長年一緒に勤務していても、グリーティングでは同僚の知らない一面に気づいたといいます。こうした体験は、いかに普段のコミュニケーションが型にはまったものであったかを、社員たちが認識するきっかけになりました。その気付きが「もっと自由に意思を発露してよい」という雰囲気づくりを後押ししたと思います。
その他にも、過剰な謙遜を控えて積極的な発言を促す「『私なんか』撲滅運動」や、役職名での呼称の禁止など、組織文化を刷新する取り組みは多岐にわたりました。
また、お互いの持つ個性の「違い」が顕著に表れた取り組みが、社員が作る「ワーキンググループ」です。あるとき、一人の社員が抱いていた課題感をベースに、志を同じくする社員が集まり、部門や担当業務を超えた小さな集団が組織されました。
その中で、各人の「I WILL」を発言する機会を作り、「I WILL」を発見するためのフリーディスカッションや他社との交流、地域との交流などを実施しているうちに、それぞれの得意スキルを活かして提案を磨いていく動きが出てきたのです。
交渉が得意な人、プレゼンスキルが高い人、数字の分析に長けている人、縁の下の力もちなど得意分野はさまざまで、業務外の仕事だからこそ光るスキルもあることにも気づかされました。こうした取り組みの結果、会社に対しての提案や新規事業、解決すべき社会課題に向けた自社の取り組みなど、たくさんの芽が出てきました。
組織文化を変えるのは容易ではありませんが、こういったことを継続していかないと変革は一過性で終わってしまいます。社員の習慣や言動の変容を促すような小さな取り組みの積み重ねが、変革の第一歩なのだと思います。
ダイバーシティ経営の推進と、働く場における「選択肢」の重要性
組織文化の刷新と同時に、各種制度づくりにも取り組みました。社員一人ひとりの個性の発揮を後押しする制度とは何か。その答えは「ダイバーシティ経営」だと私は考えました。
例えば、前職場は化粧品関連企業のため、女性スタッフが多く在籍していました。そうした企業が、男性中心的なキャリアや働き方を奨励していては、それぞれの個性やその差異を活かすような活躍は期待できません。そのため、属性に関わらず活躍できるような制度づくりが必要でした。具体的には、時短勤務や育休の取得推進に加え、女性の健康や体のケアを支援するフェムケアにつながる福利厚生などを導入しました。
こうした制度を導入する際のポイントとしては、経営陣と人事部門の連携が重要です。人的資本経営への注目の高まりにより、経営陣と人事部門が一体となって人事施策を策定・実行する機会が増えています。社内制度を戦略的に策定し、具体的な成果を挙げるには、経営陣と人事部門が目線を合わせ、いかに共通の目標にコミットするかがカギになります。
この連携を強化するため、前職場では取締役全員に「ダイバーシティメッセージ」を作成してもらいました。各人がダイバーシティの重要性を自らの言葉で語ることで、変革への本気度を社内に示すとともに、そのメッセージを社内サイトなどで定期的に発信し、人事部門がダイバーシティ関連制度を発案・推進しやすい雰囲気を醸成したのです。現場主導で施策を推進していく際にも、経営陣の「意思の発露」を活用することが重要だといえます。
また、働く場の再設計にも力を入れていました。前職では、東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会時に想定されていた出社制限に備えて、2018年頃からリモートワークの導入を進めていました。おかげで、コロナ禍での混乱はあったものの、比較的スムーズに対応できたと思います。
具体的には、対面とリモートを両立した環境の整備に注力し、メインオフィスではフリーアドレス制を導入して部門間の垣根を取り払ったほか、フリースペースを設置して社員間の交流やディスカッションを促す空間を設けました。一方で、リモートワークも拡充し、子育て中や介護中の社員が時間や場所に縛られずに働ける環境を整備しました。
それぞれの職種やライフステージ、その他個別の条件を考慮すれば、より良いパフォーマンスを発揮できる環境は一人ひとり異なるはずです。社員がそれぞれの個性を活かして活躍できる組織をめざすのであれば、働く場の選択肢はより多く用意しておくべきではないでしょうか。
「対話」は自らの個性や価値に気づくための手段
私は現在、多様性のある社会形成・発展をめざす一般社団法人の理事を務めていますが、以前にこの団体が開催するイベントに参加し、強い感銘を受けたことからご縁が始まりました。
そのイベントは、視覚障害者の案内により、完全な暗闇の中で視覚以外の感覚を使ってコミュニケーションを楽しむような内容です。このときに、まったく知らない人々との「対話」によって、自分の意思や可能性に気づき、普段の仕事では得られない体験や経験が引き出されるのだと知りました。
この「対話の力」は企業でも活かせるのではないかと考え、取り組みを進めたところ、結果的に社員のイベント参加にとどまらず、社員同士の交換留学まで実現しています。
これはあくまで一例ですが、会社から一歩外に出て、置かれた立場やバックグラウンドの違う人々と「対話」することは、より強靭で持続可能な組織を築く手段になり得ると考えています。実務のなかで経験やスキルを積み上げるのは重要ですが、人は限られた人間関係のなかで過ごしていると、他者との違いや新たな可能性に気付きにくくなってしまいます。異なる立場や背景の人々と対話をすることで、自らの個性やチームメンバーとの個性の違い、自社の強みなどを認識できるのです。
そのための手段は、新たなスキルを得るためにスクールに通うこと、地域活動に参画することなど何でもよいと思います。また、組織として社外交流を促進するのであれば、副業を推奨したり、他社と連携して人材交流を図ったりするのも一つの手段です。
そうした交流の中で異なる立場の人との対話を重ねた人には、そこでの気づきを自社に持ち帰り、社内に還元してもらってはどうでしょうか。自らの個性を再認識し、他者の個性にも配慮できる社員が数多くいる企業には、きっと個性を活かして活躍できる環境が生まれることでしょう。
今まさに人的資本経営に関わっている総務や人事部門の方は、たくさんの苦労をされていると思います。経営層のコミットを引き出し、対話の力などを活用しながら、一人ひとりの個性を発揮できるような環境づくりに成功することを心から願っています。
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