人々の行動から仮説を立て、新たな価値を導き出す「行動観察」。その第一人者である松波晴人さんは、コーネル大学で行動観察を本格的に学び、その知見を活かして大阪ガス行動観察研究所を立ち上げました。その取り組みは世界的なビジネス誌『ハーバード・ビジネス・レビュー(日本版)』で取り上げられ、行動観察に関する著書も複数出版。現在は大阪大学共創機構 特任教授(常勤)として、行動観察を踏まえた新価値創造の分野で活躍されています。
「新しい価値を創造する」という観点から見たとき、今後の社会変化や時代の要請を踏まえた「新しいワークプレイス」はどんな姿になるのでしょうか。松波さんに伺いました。
企業が頭を悩ませる「新価値創造」。まずは問題の「種類」を特定
私は大阪大学共創機構に在籍し、さまざまな企業から寄せられる相談に対して、行動観察をベースにした
しかし日本の大学では新価値創造に必要な段取りや能力について、体系立てて教えていません。そのため私は企業から寄せられる課題に応えつつ、学内で「
このForesight Creationのプロセスに入る前に、「新しい価値を生む」とはそもそもどういう問題なのか、を知ることが重要です。問題には「シンプルな問題」「複雑な問題」「厄介な問題」という3種類があります。
シンプルな問題は問題もソリューションも明確であり、常識で解くことで簡単に解決できます。一方、多くの企業が取り組んでいるのは複雑な問題と厄介な問題です。この二つの大きな違いは、複雑な問題は正解が存在するものの、厄介な問題には正解が存在しないところにあります。例えば人類を月へ送る「アポロ計画」には正解が存在する(=同じ方法を用いれば、次回も人を月に送ることができる)ので、複雑な問題にあたります。一方で「子どもをどんな大人に育てるべきか?」という問題は、正解が存在せず時間とともに変化するので、厄介な問題に分類されます。
それぞれの問題を解決しようとすると、用いる理論も違ってきます。複雑な問題は、物事を客観的な因果関係から論じる「機械論」で考えることができますが、厄介な問題は、正解がなくて定義することが困難な問題を解くアプローチである「生命論」で考える必要があります。「この結婚が必ずうまくいくか」「業界が大きく変化する中、この経営方針でうまくいくか」といった厄介な問題について、根拠をもとにした完全な証明は不可能です。
つまり、新価値創造に取り組むときには、「要素還元的なシステム」という機械論で考えるのではなく、「種に水をあげて芽を出していこう」という生命論で考える必要があります。そのため、厄介な問題では往々にして、「どうありたいか」という意志が重要になります。
この生命論を用いる厄介な問題こそForesight Creationで解くべきで問題あり、「今後どんなワークプレイスを作るべきか」も、厄介な問題の一つとしてとらえるべきなのです。
*1 デザイン思考:問題解決のプロセスをデザインする方法論のこと。スタンフォード大学の機関Hasso Plattner Institute of Design(通称、d.school)から広がった。
*2 クリエイティブ・シンキング:何かの枠組みに囚われることなく、自由に発想する方法論のこと。商品開発などを行う際に活用される。
新価値を編み出す行動観察手法「Foresight Creation」
Foresight Creationにおいては、大きく4つのプロセスを経て価値を生み出します。
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実際には次のように詳細なプロセスを経て、どのようなソリューションやプロダクトを制作するべきか、を生み出していきます。
まずFactを得ることが最初のステップになります。Factの中でも、重要なのが一次情報です。一次情報とは、行動観察により得た、場で実際に起こっている事実のことです。新しい仮説を立てるということは、「これまでの常識とは違う、妥当性の高いInsightを得る」ということですから、特に「違和感のある事実」が重要になります。「ある事実を観察したときに違和感を持つ」のは、「これまで自分が持っていた物事のとらえ方(=常識)では解釈できない」からです。つまり、違和感があるときは、「良いInsightを得るチャンス」なのです。
行動観察で得られる一次情報は、決して網羅的な情報ではありません。対象者も数人だったりします。しかしながら、個々の人の具体的な行動や思いを深く理解することができるディープ・データです。ビッグ・データは、収集する母数や期間は膨大ではありますが、実はとても限定的です。たとえば、朝から今に至るまで、みなさんが残しているビッグ・データには「何時にどの駅の改札を通った」といった情報はありますが、その時に「なぜその駅を通るに至ったのか」「その時にどのような思いでいたのか」などの深いデータは残っていません。
そして、FactからInsightを得る過程に移ります。Insightは、「場で起こっていることから導き出される、どういう問題として解く必要があるのか、という仮説のことです。新商品開発においては、「解決すべき顧客の問題は何か」を明確にすることに該当します。このInsightがForesight Creationで一番肝心なことで、お医者さんで言うところの「診断」と同じです。
さらに的確な診断をしようとすれば、「一次情報(患者の状態、血液データ、など)」だけでなく、もう一つ必要なものがあります。それはKnowledgeです。医学知見を持たない人がいくら患者の症状というFactを集めても、診断というInsightを出せないのと同じで、新価値創造においてもKnowledgeが抜け落ちていると、妥当性の高いInsightを得ることができません。
こうしてInsightを得たら、次は新価値を創造するためのForesightを考えるプロセスに移ります。このプロセスにおいてInsightから新たな
Actionを取ったら
行動観察から紐解く「なぜオフィスがなくならないのか」
先日開催された日本オフィス学会大会では、複数の研究者が登壇して「なぜオフィスがなくならないのか」をテーマに議論を交わしました。私もそこに登壇し、Foresight Creationを駆使して導き出した「コロナ禍でのオフィスの必要性」を論じました。この検証プロセスをやや簡略化した流れで紹介します。
まずはFactを捉えます。大会発表では20代女性、30代男性、50代男性の3例をFactとして扱いました。
・Fact1:ある20代女性は、コロナ禍で1週間ほど外出しないのが通常となり、電話(オンラインではなく通話)で友人と話す機会が増加しました。
・Fact2:ある30代男性は、5社で兼業しているため職場も5つあります。しかし「どの会社にも所属していると感じられず、寂しい」と発言していました。
・Fact3:50代男性は、実は私自身なのですが、自宅を改装してワークショップルームを設けたものの、職場に行った方が元気になると実感しました。
用いたKnowledgeは、アメリカの社会学者レイ・オルデンバーグが提唱する「サードプレイス」、具体的には「人には家、ワークプレイス、サードプレイスが必要だ」という考え方です。この考え方でまとめると、「コロナ禍の会社員」は「ワークプレイスやサードプレイスがなくなり、すべてを家で行う状態にあることがわかります。
これらのFactとKnowlegeから得たInsightは、「オフィスはなくならない、なぜなら寂しくなってしまうから」です。電話で話すことが増えたのも、複数の会社を兼業して満たされないのも、自宅にワークショップを創っても職場に行く方がよいと思うのも、「寂しいから」ではないか、と考えられます。特に、コロナ禍でワークプレイスもサードプレイスもなくなると、寂しい状態になってしまいます。やはり、「同じ思いの人たちが集まる場」(=オフィス)を人は求めると思います。
つまり、桃太郎が犬・サル・キジと仲間になったように、多様な人材が同じ志を持って目標に向かうようありようが求められているのではないか、と思います。ワークプレイスは、もともとはリソース(生きていくためのお金など)を得るために集まる場ですが、今後は同じ志の仲間が集まることで孤独が癒やされ、心の平穏が得られる場になっていくでしょう。だからこそアフターコロナでも、ワークプレイスは必要とされると思います。
実際にどのようなワークプレイスを創るかは、各企業のBrandingや「どうありたいか」という意志、Strengthによって違ってきます。ただ全体の傾向として、これからのワークプレイスに求められることとして、「志の同じ仲間と集まるホームグラウンド」としての意味合いが強くなっていくのではないでしょうか。
つまり、これからのワークプレイスには、シェルターとしての「家」や、仲間がいる「サードプレイス」の要素も求められると思います。「阪神タイガースファンにとっての甲子園」や「かつてのトキワ荘*3」のように、「志の同じ仲間と集まるホームグラウンド」としてリアルに集まる場の要素が重要になってくるのです。
*3 トキワ荘:東京都豊島区南長崎に1982年まで存在した木造2階建アパート。手塚治虫や藤子不二雄、石ノ森章太郎、赤塚不二夫など著名な漫画家を輩出した。
「隠れた真実」から考える、これからのワークプレイスの姿
これからのワークプレイスは「新しい価値を生み出す場」としての役割が求められていくと思います。新価値創造を成功させるために私が企業にお願いしているのは、新価値創造をミッションとした5人ほどの小規模なチームを作ることです。そして、先の桃太郎と犬・サル・キジのように「同じ目的を持った多彩な仲間」が集まり、Foresight Creationをベースにして新価値創造に取り組みます。
ところで新価値創造をしようとする人たちに必要な「創造力」とは、結局のところ何なのでしょうか。創造力について、アカデミックの分野でも定義することは困難なのですが、私は「創造力は2種類ある」という説を取っています。1つ目は既存の概念を新たに組み合わせる「組み合わせ型創造性」で、Foresight Creationでは「統合」と呼んでいます。もう1つは、枠組を変容させることで新たな枠組みを生み出す「変換型創造性」で、私は「リフレーム」と呼んでいます。
新価値を創造したい経営者に必要なのは、この桃太郎チームを生み、守り、励まし、育てることです。そもそも、新しい価値に取り組むこと自体は、「ハイリスク・ハイリターン」な活動です。「ローリスク・ハイリターン」なものがあればよいですが、残念ながら世の中にはそんなものはないので、どうしてもリスクを取る腹を決める必要があります。
経営者のみなさんにお願いしたいのは、「こういう世界を作りたい」という意志を持ち、勇気をもって鬼ヶ島に向かう人たちを組織内の様々な軋轢から守り、サポートすることです。そこまでしないと、もはや「新しい価値創造に取り組もう」という人たちは絶滅危惧種になってしまいます。
また、「絶対にうまくいく」という確証がなくても、小さく始める機会を作っていただきたいと思います。試行錯誤することができれば、その中から成功例も生まれてきます。
多くの日本の企業では「真面目な人」が多いように思います。学校で教えてくれるのは、すべて「定説」ですから、真面目で勉強ができる人は「定説(既知のことなので比較的簡単)」と「解けない謎(解けないのだからそもそも不可能)」の二元論で考えがちです。
しかし、桃太郎チームのように新しいことに取り組む人たちは、真面目というよりは「真剣な人たち」です。真剣な人たちは「定説」と「解けない謎」の間に「隠れた真実」があることを知っていて、それを見つけようと苦闘し続け、「定説とは違う、隠れた真実(=洞察=新しい仮説)」を見出します。新しい価値は、新しい仮説から生まれるのです。
最後にお伝えしたいのは、新価値を生むためには「自己肯定感」よりも「自己効力感」が重要だということです。自己肯定感は「今自分はイケている」という気持ちのことで、自己効力感は「(新しいことに取り組んだときに)自分は何事かを成し遂げられる」という思いです。残念ながら、この自己効力感が日本人は各国に比べてとても低いのが現状です。
経営者の皆さん、ぜひ社員の自己効力感を大切にして、アクションにつながっていくようサポートしてはどうでしょうか。それが新価値創造、そして様々な企業に合ったこれからのワークプレイス作りに繋がるはずです。
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