ワーカーの仕事や生活、人生について考える際には、以前から「ワーク・ライフ・バランス」や「ワーク・ファミリー・バランス」といった考えがたびたび用いられてきました。また、近年では「ワークインライフ」という言葉も広まりつつあります。
こうした前提のもと、企業が中長期的に成長していくためには「ワーク」をどう扱い、どういった職場環境や制度などを構築すればよいのでしょうか。長きにわたりワーク・ファミリー・バランスについて研究されてきた、同志社大学の藤本哲史さんにお話を伺いました。
「ワークインライフ」と「ワーク・ファミリー・バランス」に共通するもの
私は労働社会学と社会心理学を専門領域として、仕事と家族生活についてさまざまな観点から研究しています。
研究テーマとして長く扱っているのは「ワーク・ファミリー・バランス」です。これは、自分の仕事と家庭生活のバランス、また自分の仕事と配偶者や子どもなど“重要な他者”の生活のバランスのことです。これは、仕事と生活のバランスに関する「ワーク・ライフ・バランス」と似たような意味で、1980年代後半から取り組みを始めたアメリカをはじめ、海外ではワーク・ライフ・バランスよりも早くから用いられてきた言葉です。しかし、私がアメリカで博士号を取得して1995年に帰国してから間もなく、日本では、ワーク・ライフ・バランスのほうが用語として急速に広まっていきました。
ワーク・ファミリー・バランスとワーク・ライフ・バランスは、仕事とそれ以外の生活のバランスを考えるという点で、根本的な考え方は同じです。しかしワーク・ファミリー・バランスという言葉は、家庭を持っている方や子どものいる方だけを想定している印象を与えかねません。そこで行政としては、すべての人が対象であるというニュアンスを出すために、ワーク・ライフ・バランスという言葉を使ってきたのではないかと考えています。
ただし、この「ライフ」には、家庭生活だけでなく趣味や余暇、健康、地域生活などさまざまな生活領域が含まれるため、具体的な政策に落とし込みにくいことに加えて、「本人のワークとライフ」の話に終始しがちな印象を受けています。一方、これを「ファミリー」とすると、本人の働き方が配偶者や子どもなど、本人にとっての「重要な他者」の生活にどのような影響を及ぼすのか、という視点を取り入れやすくなるのが特徴です。
なお、この「ファミリー」の範囲は、親や親族、法的な婚姻関係に限らない多様なパートナー関係なども含めて、広く捉えています。個別の事情を勘案しながら、ワークとファミリーのバランスについて考え、介護や育児などの具体的な施策に落とし込んでいくことが大事です。
そして昨今は「ワークインライフ」という言葉も普及しつつあります。これは、ワークをライフの一部として位置づけ、働くことを、人生をより豊かにする一要素として捉えることを意味します。ワークインライフとワーク・ファミリー・バランスは、仕事が人生のすべてではないとしている点で共通していると考えています。
一方、相違点を挙げるなら、考慮している時間軸が異なることです。ワークインライフを考える際は、長い人生のなかでいかにワークを取り入れていくのかを検討すると思います。しかし、ワーク・ファミリー・バランスについては、多くの場合ある一時点のみを切り取り、天秤のような仕事と家庭生活との釣り合いを検討することが多いように思います。
このワークインライフの時間軸をワーク・ファミリー・バランスに応用すると、さらに深い考え方ができると思います。
人生を高速道路に例えて考えてみましょう。例えば、アクセルを踏み込んで高速道路を走るように懸命に仕事をしてきた人が、家族に寄り添う時間を必要とするようになり、仕事量を調整したとします。これは、いったん高速道路の出口から一般道に下り、ゆっくりとした速度で走ることに似ています。そして、家族生活が安定し、もう一度本格的に仕事に打ち込む時期が来たら、次の入口で再び高速道路に乗るときのように加速して、仕事に本格的に復帰します。しかしまだ家族との時間も大切にしたいので、以前のようにアクセル全開ではなく、高速道路をゆったりと余裕を持って走るように、仕事の内容や量をコントロールしていくのです。
このように、高速道路の乗り降り(on-ramping, off-ramping)のような緩急をワーク・ファミリー・バランスに取り入れていくと、自分や家族のさまざまな要望や必要性に応えながら、さらに充実した人生にしていけるかもしれません。
ワークやライフ、ファミリーへの「在宅勤務の影響」
近年、ワークやライフ、ファミリーに大きな影響を与えたのは、在宅勤務の普及だと考えています。コロナ禍以前は、在宅勤務は「ワーク・ライフ・バランスの切り札」的に考えられていましたが、その効果を評価するための事例はあまり存在していませんでした。しかしコロナ禍で在宅勤務が急速に広がり、同じタイミングでステイホームや学校の一斉休校など、それまで想定していなかった事態が起こりました。これらが非常にアンバランスな形で、主に家事や育児を担ってきたワーカーにのしかかり、在宅勤務がもたらす想定外の影響が明らかになったのです。
在宅勤務に関するさまざまな課題は、仕事と家庭生活との相互浸透に起因すると考えています。IT技術の発展や利用拡大により、いつでもどこでも仕事ができる環境になったものの、多くの家庭の住居環境では、仕事と家庭生活の切り離しが難しい状態です。双方の間に明確な境界線を引くことが難しいため、仕事が家庭生活に、家庭生活が仕事に浸透し、両方がうまく機能しなくなった例も散見されました。
よって、これからのワーク・ファミリー・バランスの在り方を考えると、いかに仕事を家庭生活に浸透させないかという点が重要だと思います。こうした内容は「ワーク・ファミリー・ボーダー」「パーミアビリティ(permeability、浸透性)」という視点に基づいて以前から海外では研究されていますが、コロナ禍での社会変化を受けて国内での研究例も増加しています。
また「ワーク・ファミリー・エンリッチメント」もひとつのヒントになるでしょう。これは、仕事や家庭で獲得した資源を互いに転用し、それぞれを豊かなものにすることをさします。ここでいう「資源」は、よい結果を出すために役立つものをさし、各タスクをこなす際に役立つ「道具的資源」と、よりよい心理状態でタスクに取り組むのに役立つ「情緒的資源」があります。
例えば、子どもを育てることで得た忍耐力を、仕事での部下育成に活用する、仕事で得たさまざまなスキルや能力などを、家庭生活に転用するなどの例が挙げられます。このワーク・ファミリー・エンリッチメントを念頭に置き、それぞれの充実を図ってはどうでしょうか。
仕事も家庭生活も満たすワークスタイルを実現するための論点
これから企業がワーク・ファミリー・バランスを実現できる働き方を考える際、いくつかの論点があると思います。
まず、男性の働き方についてです。最近では男性の育休取得や育児参加が注目されていますが、そもそも家庭を持つ男女が共に仕事を家庭生活を両立させるなら、双方がワーク・ファミリー・バランスをとれている必要があります。私はこれまで男女それぞれの働き方やワーク・ファミリー・バランスについて研究してきましたが、結果的には男性・女性に対するアプローチに明確な違いはないと感じています。施策を展開する際は、男性対策や女性対策ではなく、ワーカー全員への対策として考えるべきだと思います。ただし施策を実施していくなかで何らかの差異が出てきたときには、調整が必要になるかもしれません。
次に、職場環境に関しては、仕事よりも家庭生活を優先するメンバーに対して、ペナルティを課す職場になっていないか、に関する点検が必要だと思います。例えば、家庭生活を優先したメンバーの評価を下げる、昇進を遅らせるなどがペナルティに当たります。そのためにも、家族の事情や状況を気軽に話せるような職場の雰囲気づくりや、「男性育休の前例がないなら積極的に前例をつくろう」といったマインドセットが必要です。そして、家庭生活や家族責任を重視するメンバーを「理解」するだけでなく、そのメンバーの働きや貢献を正しく「評価」することも大切だと思います。
すでに評価制度などの変革に取り組んでいる企業もありますが、前述のようなペナルティは職場の日常のなかで起こります。「ペナルティを受けている」と感じるのはワーカー自身のため、ワーカーが日々どう感じているかを丁寧にヒアリングすることが重要です。
それから、ワーカー個人としては、人生全体のなかでワークとファミリーをどう組み合わせていくかを考える必要があります。これからさらに変化に富んだ時代になるからこそ、20代、30代のうちから自分の人生を自律的に考え、キャリアをデザインしていく発想を身に付ける必要があるでしょう。同時に、そのキャリアをいかに実現可能にするのか、そのために必要なスキルをどうやって獲得するのかも考えていくべきだと思います。
中長期的に働きやすい職場になるために
今後の日本企業は人材不足への対応を迫られることもあり、いかにワーカーに長期間にわたり働いてもらえるのかが重要になります。それに対する施策を考える際のキーワードは「自律性」だと思います。いつ、どこで、どの仕事をどの順番でやるのかなど、従業員の自律的な働き方を尊重する職場になることが大切だと思います。
これは管理型のマネジメントとは真逆のため、管理職が部下の自律性を積極的に支援できるようになるための教育が必要かもしれません。そして、「何でもいいから自分でやってみろ」と言うのではなく、本人のスキルレベルを判断しながら業務配分を考えるなど、自律性を高めやすいサポートも必要だと思います。そのために、1on1や日頃の会話を通じての部下とのコミュニケーションが大切になります。
また、ワーカーが自律的になると、キャリアについても自律性を求めるようになり、、次なる目標を持って組織を離れてしまうのではないかという懸念もあると思います。しかし、私の指導学生が自律性と組織間移動の関係性について研究したところ、仕事における自律性は組織間移動を抑制する、という結果が出ました。よって、自律性の向上は組織の強化につながると考えてよいでしょう。
企業はこれまでも、ワーク・ライフ・バランスを支援する制度などを導入してきました。これからは制度導入だけにとどまらず、そのあとにワーカーの仕事や家庭生活がどう変わるのかまで目配せしていく必要があると思います。そして、改めて制度設計を考える際には、ワーカー本人だけでなく、配偶者や子どもなどの“重要な他者”も含めて、支援制度を考えていく必要があるのではないでしょうか。
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