オフィスデザインや室内建築を専門とする地主廣明さん。東京造形大学で教鞭を執りながら、さまざまな学会や研究会でも精力的に活動されています。そんな地主さんに、ワークプレイスの歴史やこれから求められるワークプレイスについてお伺いし、2回にわたってお伝えします。
今回は、オフィスやワークプレイスの歴史と、これまで手掛けてきたワークプレイス事例に関して紹介します。
日本のオフィスが「対向島型」である理由
私は元々オフィス家具メーカーに就職し、インハウスデザイナーとしてさまざまなオフィスデザインを手掛けてきました。その後東京造形大学に戻り、研究活動や後進の育成、オフィスデザインなどを行いながら、日本オフィス学会の副会長や学会誌委員会委員長等を歴任。昨年までは、日本建築学会のワークプレイス小委員会の主査も務めていました。また、現在、日本人間工学会のABW*1委員会にも関わっています。
そもそも私は、オフィスとワークプレイスを異なるものとして捉えています。まずオフィスは、少数の事業主が多数の労働者を管理するために組織化された管理空間と考えます。これは18世紀に現れ、19世紀のアメリカで完成しました。一方のワークプレイスは、自律したナレッジワーカーが主体的に働く場として自ら選択する空間を指します。そこには労働者をマネジメントする特定の管理者は原則存在しません。このワークプレイスの歴史は、オフィスに比べるとかなり浅いです。
今回は以下の年表に沿ってオフィスデザインの歴史について解説していきます。さっそく本題に入っていきましょう。
日本のオフィスの歴史は、明治時代から始まります。明治政府はドイツやイギリスを模範として役所づくりを行っていたため、オフィスの作り方もこの二カ国の影響を大きく受けていました。よって、“日本独自の”オフィスの歴史はないに等しいといえます。
当時から世界経済の中心はアメリカであり、アメリカのオフィスでは、労働者が同じ方向を向いて着席する「同向式」が中心でした。一方の日本は、ヨーロッパと同じく、労働者同士が管理者の下で向かい合って着席する「対向島型」というデスク配置を採用します。しかし、この対向島型がいつ誰の手でヨーロッパから入ってきたのかは謎のままです。
時期はおそらく、第一国立銀行ができた1870年代ではないかと思われますが、残念ながら内部のインテリア資料は残っていません。またその導入理由も不明です。オフィスインテリアデザイナーが歴史的に存在しなかったため、誰でも管理・運営できる仕組みが求められたのではないか、などの説があります。
ここからは私の仮説ですが、明治政府はアメリカのように世界に冠たる役所を作ろうとしたはずなので、本来ならアメリカと同じ「同向式」になる可能性もあったと思います。しかし対向島型を採用した背景には、コミュニケーションスタイルの変化が影響したのではないかと考えています。
これまでの日本は、1人1台の箱の上で食事を取る「箱膳」という食事方式で、各人が離れて座りながらコミュニケーションを取っていました。しかし明治時代にベトナムや中国から「卓袱(しっぽく)料理」が伝わり、ひとつの大きな天板を囲む文化が初めて生まれます。これは新しいコミュニケーションスタイルになり、大衆に新鮮な風景を提供するとともに、これを規範とした企業でのグループワークが生まれたのではないかと考えています。
そして、この一枚の天板に集ってワイワイと仕事をする楽しさが、日本古来のグループワーキングと相まって、対向島型がすんなりと受け入れられたのではないでしょうか。
*1 ABW(Activity Based Working):オフィス内(あるいは都市)に、仕事のさまざまな活動(アクティビティ)に適したワークスペースを用意し、個人がデスクを固定せず、作業内容に応じて働く場所を変えられる勤務形態。
アメリカの影響を色濃く受けた19〜20世紀と、ニューオフィス運動
その後、日本のオフィス環境に大きな変化を引き起こしたのは、1986年から始まった「ニューオフィス運動」です。当時はバブル景気の下で工場の機械化が進み、削減したブルーカラーをホワイトカラーに移行させ、クリエイティブな仕事を担当させる動きが生まれました。例えばあるメーカーでは、ホワイトカラーの小集団を作り、次々と新しい商品を開発していました。こうした中で「オフィスはワーカーが起きている時間の半分を暮らす場所だからこそ、生活する場と同価値でなければいけない」という考えが生まれ、ニューオフィス運動へと繋がっていったのです。
日本がこの考えに至るまでの間に、アメリカでは日本に先んじてさまざまなワークプレイスに関する変化がありました。
そもそもアメリカと日本とでは、オフィスの発展に100年もの差があります。アメリカが先に発展したのはタイプライターの普及が原因だといわれます。商業タイプライターは1873年に登場し、20世紀には1人1台まで普及しました。対して、日本でワープロが普及し始めるのが1980年前後、1人1台になったのは21世紀と、ちょうど100年の差があります。
タイプライターやワープロによって、文字や紙の規格などあらゆるものが標準化され、現在の情報管理の源流が出来上がっていきました。また、アメリカでは18世紀末に特許法が作られ、アメリカの各企業は、特許取得、独占販売を背景に、さまざまな発明(特許取得)競争が熾烈化し、それが他方で様々なオフィス家具や機器を生み出し、現在、私たちが知るほとんどのオフィスの機器・備品は19世紀に完成されています。このこともアメリカのオフィスを進化させた要因です。
1970〜80年代には、1960年代のオフィスランドスケープを経てキュービクルオフィスが登場します。これはブース型のオフィスで、もともと個環境を重視していたアメリカの働き方を下地に「ナレッジワークのためには、個人が沈思黙考すべきだ」という概念から生まれました。しかし結果的に、ワーカーの生産性が落ちたため下火になります。
その後は、オルタナティブオフィシングという考えも生まれます。1989年、1994年とサンフランシスコ、ロサンゼルス近辺で大震災が起きたのがきっかけだといわれています。多くの都市の本社ビルが倒壊したことで、情報の一元管理はリスクが高く、オフィスはもちろん都市機能すら分散すべきだという議論になりました。また、当時のアメリカではCO₂排出の問題も深刻化していたため、その解決策としてリモートワークと場所選択の希求が登場、推進されます。
こうした出来事が、現在のABWやワークプレイスの多様化に繋がっています。21世紀に入ってからのオフィスやワークプレイスの変化については、次号で触れたいと思います。
これまでに手掛けたワークプレイスの変遷
私が手掛けたワークプレイスの中で当時先進的だったのが、企業のインハウスデザイナーだった1983年にツルゲン社のオフィスで実現した「迷路動線」です。これはドイツの「オフィスランドスケープ*2」に影響を受けていて、組織系統的な指示による「コマンドフロー」ではなく、部署を横断したワーカー同士の会話による「コミュニケーションフロー」を重視したプランニングを目指しました。オフィスランドスケープに習いオフィス内でのコマンドフローとコミュニケーションフローの流れや、ワーカーのコミュニケーション量などを調査し、その結果に基づいて有機的なプランニングを考えました。
しかしながら、このデザインの最中でわかったのは、日本でコマンドフローを実現するために採用されていた対向島型が、実はコミュニケーションフローに合致していたことです。ただし対向島型のままでは企業に変化が起きにくいため、経験や出会いを通したノンバーバルコミュニケーション(非言語コミュニケーション)を活性化させてイノベーション(新結合)を起こすためのコンセプトとして「迷路」動線を提案しました。一見、オフィスランドスケープと似ていますが、コミュニケーションフローの結果ではなく、先に迷路ありき、というコンセプトです。
当時革新的だった迷路動線ですが、その後にこの動線ではワーカー全員が出会えないとわかります。そこで次は、オフィス内に広場を置き、いわゆるマグネットスペースをオフィス内部に組み込みました。このデザインは現在広く普及しています。
現在のABWに繋がるのは、1991年に完成したKSP創造型サテライトオフィスです。当時「21世紀のオフィスはどうなるのか」という議論が多く、私は今後ネットワークが無線化し、オフィスでの各機能もアクティビティベースで分散するだろうと予測しました。その考えを反映したのがこのオフィス(ワークプレイス)です。
それまでのワーカーは、考えることやチームと話すこと、資料にまとめることなどを基本的にひとつのデスクや空間で行っていました。でもこれからは、それぞれの生産性を高めるための専用空間を作ってビル内や都市に分散させ、それを通信で繋げばいいのではないか。そんな考えに基づいて作られています。
*2 オフィスランドスケープ:個室を設置せず、背の低いパーテーションや観葉植物などで区画し、コミュニケーションに従いデスク配置を行うオフィスプランニング手法。
認識されるようになってきた「ゴロゴロ空間」と「カリカリ空間」
2000年代に業界誌で書いたのですが、私の原点には「ゴロゴロ空間」と「カリカリ空間」という考えがあります。これは、偶然ラジオで聞いた小説家のエピソードから浮かんだ考えです。
ある日小説家が縁側でゴロゴロしていると、ふとよいアイデアが浮かび、それを書き留めるために書斎へ行きカリカリと執筆します。その様子を見ていた妻が「やっと仕事を始めた」と言ったそうです。
実はこの小説家にとって、ゴロゴロしてアイデアを出すのが仕事であり、カリカリと執筆するのは単なる作業に過ぎません。しかし妻は、ゴロゴロしているのはサボりであり、カリカリと書くのが仕事だと捉えています。この妻の目線は、まるで社会の目線を反映しているといえます。つまり、ナレッジワークの主体はゴロゴロであり、カリカリではありません。この考え方は近年やっと意識されるようになったと感じています。
これまでの日本の企業では、ワーカーに対する「束縛性」が強く、ワーカーに従順さを求める傾向がありました。しかし今後のビジネスシーンを担うナレッジワーカーには「自律性」が求められるでしょう。そんなナレッジワーカーの自律性を促進する「これからのワークプレイス」について、次回でそのヒントを紹介したいと思います。
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