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特別寄稿

日比谷電電ビル、記録調査について

大宮司 勝弘(DOCOMOMO Japan 理事・事務局長/大宮司建築設計事務所)

1. DOCOMOMO100選、日比谷電電ビル(No.056)選定の理由

 DOCOMOMO Japanは既に20年以上の歴史があり、筆者は発足当時の経緯に詳しくない。そこでDOCOMOMO100選の選定経緯については当時のDOCOMOMO Japan幹事長、日本建築学会歴史意匠委員会DOCOMOMO対応WG主査であった兼松鉱一郎氏の解説 1)から引用したい[図1][図2]

 DOCOMOMO JapanはDOCOMOMOの設立趣旨を受け止めながら、モダン・ムーブメントといわれる近代運動の中で生み出されてきた建築の存在やその魅力を広く社会に伝えるとともに、その建築やその建築が建てられた土地や環境も含めたデータを保存し次の世代に継承していこうと考えている。100選を選定し、展覧会を開催するのもその活動の一環である。

 2003年5月、およそ2年3か月をかけてDOCOMOMO Japanと日本建築学会歴史意匠委員会DOCOMOMO対応ワーキンググループは連携をとり100選を選出した。この選定は、1998年に選定した20選を80増やして100選にしたもので、全国各地で活躍しているDOCOMOMO Japan メンバーにリストアップを願い決定した。(中略)選定作業は下記選定基準に基づいて行ったものである。

(1)1920年代から60年代に竣工した、モダニズムといわれるその時代背景をよく表した建築や、その建築の建てられている環境形成を対象とし、竣工時の状態やそのつくられた主旨をよく留めているもの。
(2)さまざまなビルディングタイプ(建築の種類)や、さまざまな構法、たとえばコンクリート、鉄骨や木造などによる建築を幅広く取り上げる。
(3)西欧的なモダニズムだけではなく、日本独自のモダニゼーション(近代化したもの)を表現したもの。

 選定にあたっては特定の建築家に偏らないように配慮した。さらに必ずしも革新的とはいえないが都市を構成しているクォリティの高いオフィスや商業ビルなどの、ラージファームといわれる大手設計事務所や建築会社設計部によって設計された建築を検証しないと、その時代のあり様を捉えられないではないかと考え、リストアップを試みたがデータが揃わずうまくいかなかった。今後の課題である。結果について異論があるかもしれないが、モダン・ムーブメントによる建築のあり様をほぼ提示できたのではないかと考えている。

 以上から判るのは基準を明文化していないものの、各会員から候補を推薦し、議論を行い選定していることである。これは現行の選定方法 3)とあまり変わらない。ただし竣工年代の規定は後年1920~1970年に拡張している。

 日比谷電電ビルを当てはめると(1)については、竣工時の状態やそのつくられた主旨を留めている。(2)は、ビルディングタイプとしては「事務所建築」としての代表、また構法の革新性を兼ね備えている。(3)は、各階に積層する庇や1階部分外周の列柱は寺社の回廊を思わせ、インテリアでは日本特産の泰山タイルを多用するなど、日本独自のモダニゼーションを表現しているといえる。

 当時の委員にヒアリングしたところ、日本のモダニズム建築導入は戦前に逓信建築に多く見られるインターナショナルスタイル(国際様式)として確立したが、戦後は様々な建築家により操作が加えられ多様化した。しかし日比谷電電ビルは正統派モダニズムとして押さえておくべきだろうとの意見があった。 そしてオリジナルの価値を残している日本国内の重要な現存する近現代建築であるのは間違いない。

 また、設計者の國方秀雄は前川國男や丹下健三ほど建築誌上を賑わせた巨匠建築家では無いが、無視されがちな組織設計の雄である。兼松氏による「データが揃わずうまくいかなかった部分」だが、それでも外されることは無く、選定されていることに注目するべきだろう。

図1 DOCOMOMO100選 図1 DOCOMOMO100選

図2 日比谷電電ビル選定 図2 日比谷電電ビル選定

2. 解体前の記録調査の意義

 近現代建築の保存は何故必要なのか... それはサステナビリティも勿論含むが、これらの建築が、これからの建築の創造に必要な情報を持っているからである。「先人から学ぶため」と言って良いだろう。あるいは世界遺産ブームもあるように文化財はツーリズムを誘い、将来、経済的価値を生む可能性があるからともいえる。また所有者にとっては「伝統」の獲得になり、他に差をつけるステイタスに寄与することも考えられる。

 DOCOMOMOでは全ての近現代建築を保存せよ... と言っているわけでない。他に代えが利かない重要な遺産をセレクトする作業を進めているのである。もちろん建物は所有者の「財産権」に関わるので、保存の強制は出来ない。ただし建築は街並みを構成し、日本の文化を表すものであるから「公共の福祉」に基づき指摘及びサポートしていきたいと考えている。

 正直なところ、筆者は日比谷電電ビルの解体に同意は出来ない。それは上記した様々な価値の棄損になるからである。実際に日比谷電電ビルを内覧した時には、その思いを更に強くした。現在我々が普通と認識しているオフィスビル設計手法の先駆けだからである。しかも完成度が高い。大胆な造形操作は抑制され、全体からディテールまでが緻密に計算されて矛盾や破綻が無く設計されている。

 誤解していただきたくないのは解体する者を非難したいわけでは無い。よく安易に表明される抽象的な「老朽化」ではない理由があり、不可避だったのであろう。同時に、我々の訴求力や努力も足りなかったと感じている。

 DOCOMOMOの役割は保存と記録である。特に解体される場合は記録を採って報告書を作成し、歴史に位置づけないと完全に消滅してしまう。残念なのは記録もなされないまま解体される事例が多くあることだが、これには所有者とDOCOMOMO Japanとの信頼関係が普段から築かれていることが重要である。保存要望の活動を通し敵対関係と誤解されることも少なくない。

3-1 調査に至る経緯

 筆者は建築家山田守についての研究をライフワークとしているが、従前より逓信建築の調査においてNTTファシリティーズの諸氏とは付き合いがあった。2017年、同じくDOCOMOMO選定であったNo.048山田守設計の「熊本逓信病院」(1956)が解体されることになった。この時に初めてNTTファシリティーズとDOCOMOMO Japanと共同で調査が行われ、DOCOMOMO Japan所属の筆者が建物の調査を行い、「旧熊本逓信病院アーカイブス」を制作した経験がある。

 従来の紙による調査報告書ではなく、「旧熊本逓信病院アーカイブス」(2018年6月初版)[図3]は、デジタルデータを使って発刊した。二次元の紙面上で展開できる情報は文字、写真、図面に留まるため、建築物の三次元形状の再現は不可能である。そこで現代のIT技術を最大限利用して三次元の形状をデジタルデータ化し、動画を含め大容量の記録とした。

 具体的には三次元スキャンによる点群データやドローンによる空撮動画が収められ、再現性の高い新時代の調査報告の手法として注目された。従来の調査報告書はせいぜい厚さ1cmくらいの書籍になるが、「旧熊本逓信病院アーカイブス」を印刷すれば、かつての電話帳を軽く超える厚さになるだろう。

 2022年の年が明けた頃のこと、NTTファシリティーズ社から日比谷電電ビルの解体 の話を知らされた。DOCOMOMOにおいてもこの建物を調査、記録に参加することになり、旧熊本逓信病院の手法による調査報告を推奨する旨のアドバイスを行い、それが予定されることになった。

図3 旧熊本逓信病院アーカイブス 図3 旧熊本逓信病院アーカイブス

3-2. 建物調査

 建築調査はビルの閉鎖後である2022年4月1日から開始された。最初にNTTファシリティーズおよび解体工事を請け負った竹中工務店、DOCOMOMO Japanとの間で調査日程と調査場所についての入念な検討が行われた。

 解体調査については①解体工事前の未着手の状態、②内装が剥がれて下地が見える状態、③躯体解体で建物断面が見える状態の3段階で実施した。今回の調査報告は8月末の第2段階までの内容となる(第3段階、躯体解体時の調査結果については別稿に譲りたい)。

 難しかったのは作業の全体像が初期段階では見えないことであった。調査しながらの発見があり、新たに調査部分を決めていくという手探りの調査となった。なおDOCOMOMO Japan調査員は十分な装備と保険加入を行い調査に臨んだ。

3-3. 見学会(2022年5月21日)

 解体工事前、未着手の状態の5月21日(土)には建築関係者を集めてDOCOMOMO Japan主催の見学会を実施した。これは多くの人にこの名建築を後世に伝えていただきたい思いもあるが、一方で多くの建築関係者から知見を集めたい目論見もあった。実際に多くの収穫があった。

 見学会はDOCOMOMO会員からの事前予約制、午前、午後の部の2回、各3グループに分けて案内する方法で実施されたが、62名もの参加者があり、最後はお断りせざるを得なくなった。建築関係者の興味が高かったことがわかる[写真1][写真2][写真3]

3-4. 調査員の紹介

 調査技師として、DOCOMOMO Japanから4名の理事が参加することになった。筆者はコーディネーター役に廻り、建築構法分野では東京理科大学の熊谷亮平 准教授、材料設備分野では居住技術研究所の加藤雅久 代表、建築意匠分野では日本大学の田所辰之助 教授が参加した。それぞれ学術的業績を上げている建築研究のエキスパートであり、最強盤石の布陣になった。また技術員として東京理科大学熊谷研究室の金沢将氏、近藤亜紗氏、飯盛冴紀氏、平沢圭祐氏の4名、日本大学田所研究室の西藤悠吾氏、早乙女崇氏、林深音氏の3名から協力があった。

 成果の概要については各氏の報告を参照いただきたい。また、今後は建築学会等での学術発表に結び付き、日比谷電電ビルの歴史的位置づけを強化していくものと思う。

写真1 見学会(建物概要説明) 写真1 見学会(建物概要説明)
写真2 見学会、午前の部 写真2 見学会(午前)
写真3 見学会、午後の部 写真3 見学会(午後)

4. 謝辞

 前述のようにNTTファシリティーズの諸氏には継続的に逓信建築の調査において多くの御協力、御配慮をいただいている。今回の調査においても多大な御尽力をいただくことで逓信建築の集大成ともいえる「日比谷電電ビル」の調査に関われたことはDOCOMOMO Japanとしても大変幸甚であった。

 改めてこの貴重な機会を与えていただいた諸氏及び、日本電信電話株式会社、公共建物株式会社に深く感謝を申し上げたい。

注)

1)兼松鉱一郎氏の解説:『DOCOMOMO Japanの活動と100選』、JA57spring2005季刊、新建築社刊、pp010-011[図1][図2]

2)現行のDOCOMOMO Japan選定基準は以下になる。
1. 1920 年から1979 年までに竣工され、現存し、オリジナルの建築的価値を残している建物
2. 以下のいずれかを満たしており、保存が望まれる建築物
 a. 竣工当時において技術的(構造・設備・材料)な革新性を有している建築物
 b. 竣工当時において社会改革的な思想(新しいコミュニティや労働形態などの提案)を有している建築物
 c. 竣工当時において環境形成の観点(広場や建築群の構成、 地域・風土への配慮)を有している建築物
 d. 原則として、幾何学的な構成に基づいた審美性(非装飾)を有している建築物

参考
  • DOCOMOMO選定された逓信建築のリスト(吉田鉄郎、山田守、山口文象、小坂秀雄個人設計の選定作品を除く、年代順)
  • 選定番号/設計者:名称(竣工年)
  • No.021/逓信省営繕課(岩元禄):京都西陣電話局(1921)
  • No.126/逓信省営繕課(吉田鉄郎):検見川無線送信所(1926)
  • No.210/逓信省営繕課(山田守):千住郵便局電話事務室(1929)
  • No.005/逓信省営繕課(吉田鉄郎):東京中央郵便局(1931)(改修)
  • No.154/逓信省営繕課(山田守):広島逓信診療所(1935)
  • No.186/逓信省営繕課(山田守):熊本地方貯金支局 (1936)(解体)
  • No.040/逓信省営繕課(吉田鉄郎):大阪中央郵便局(1939)(解体)
  • No.048/山田守:熊本逓信病院(1956)(解体)
  • No.056/日本電信電話公社施設局建築部(國方秀男):日比谷電電ビル(1958)
  • No.129/日本電信電話公社施設局建築部(内田祥哉):中央通信学園講堂(1958)
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