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ビジネスコラム

伊藤佳子プロに聞く②「わたくしのゴルフ人生」

2019年6月12日

 前回は、元日本女子プロゴルフ協会(LPGA)元副会長 伊藤佳子プロに、女子プロゴルフの人気の秘密について語ってもらいました。自身もゴルファーとして人気をけん引し、海外へのゴルフ留学のパイオニアとして大学時代にはオクラホマ州立大学という強豪校で活躍。全米の優れた学生アスリートに贈られる、「オールアメリカン」などに日本人として初めて選出されました。プロデビュー後も活躍を続けますが、体調面でも精神面でも苦しい日々があったといいます。そんな苦境から救ってくれたのが恩師との出会いでした。恩師から学んだモチベーションを保つための指導法とは一体どのようなものだったのでしょうか。
今回は、ビジネスパーソンにとっても刺激的な、伊藤プロのゴルフ人生について伺いました。

【プロフィール】
伊藤 佳子(いとう よしこ)
プロゴルファー、元LPGA 副会長。14歳でゴルフをはじめ、大学在学中に日本女子オープンゴルフ選手権のベストアマを獲得。その後、米国へ留学し、そこで優れた学生アスリートに贈られる「オールアメリカン」「アカデミックオールアメリカン」に選出されるなど、ゴルフ留学の先鞭をつける。1986年にプロ入りし、その後LPGAの理事や副会長として選手やジュニア世代の育成に関わるなど、選手として裏方として女子ゴルフの人気を両面から支えてきた。

“緑の美しさ”に魅せられ始まったゴルフ人生

――ゴルフをはじめたきっかけを教えていただけますか

 私の父はゴルフが大好きな人で、「家族みんなでゴルフをプレーできたらいいね」と考え、私も14歳の時から一緒にやることになりました。でも、最初は練習場に行っても全然楽しくなかったんですよ。

 ゴルフに対する気持ちが変わったのは、初ラウンドがきっかけでした。初めてゴルフ場を訪れた時、「こんなきれいな場所があるんだ!」と感動したんです。ゴルフ場に広がる“空の青さ”と“緑の美しさ”に魅せられ、ゴルフのことも大好きになりました。中学3年生のことでした。

 高校進学後に母を失い、その寂しさを穴埋めするためでしょうか。ゴルフに対して猛烈に打ち込むようになります。当時は、毎日欠かすことなくゴルフの練習場に通っていましたね。

 大学に進学した後は体育会ゴルフ部に入りました。大学2年生の時に転機が訪れます。その年にはじまった、「日米学生対校ゴルフ選手権」の女子の試合に出場することになったのです。

 日本からは、私を含めて3人の選手が出場。一方、米国からは、後にプロとして活躍するバル・スキナー選手など3人が来日しました。私は、米国チームのジュリ・インクスター選手とマッチプレーで戦ったのですが、18番ホールを回っても決着がつかず、引き分けになったんです。

――米国へのゴルフ留学の先駆者として多くの業績を残していますが、ジュリ選手との試合が留学のきっかけになったのでしょうか

 ジュリ選手は、当時の米国女子アマにおけるトッププレイヤー。後にメジャー大会で7勝という成績を残し、世界ゴルフ殿堂入りする凄い選手だったんです。そんな相手に引き分けることができ、周囲も驚いたでしょうが、一番ビックリしたのは私自身でした。

 その時、米国女子チームを率いていたのは、ゴルフの名門校でもあるオクラホマ州立大学(OSU)でコーチをしていたアン・ピッツ氏という方。私からすると誤解としかいいようがないのですが、アン氏は、ジュリ選手との試合を見て「日本にすごい選手がいる」と思ったようです。彼女から「OSUに来ないか?」とスカウトされました。それで大学3年の途中から、米国に留学することを決意しました。

日本人として初めて全米学生アスリートの頂点へ

――当時はアマチュアでゴルフの米国留学は珍しかったようですね

 はい。OSUの入学前に英語を勉強する期間があり、その間に全米女子アマと全米女子オープンに出場するという経験に恵まれました。全米女子オープンは、本戦は待機リストだったのですが棄権する選手が出て本当に運よく本戦に出られたんです。日本の女子アマで両方の試合に出場したのは、私が最初だったと思います。

 OSUに入ってからは、学生ゴルファーの高いレベルに驚かされましたね。特に近距離からピンを狙うアプローチの上手さは、日本の学生のそれとは別次元のものでした。その中で、学業と両立しながらゴルフに取り組むことは大変でしたが、運も味方して3年生時には学生の大会で2連勝することができました。

 それらが評価され、1982年には全米のスポーツ優秀者に送られる「オールアメリカン」と、学業成績も評価対象になる「アカデミックオールアメリカン」に選出されました。それらも日本人としては、初めてのことだったと記憶しています。

 ちなみに、私の後には、1985年に、テキサス大に留学した服部道子さんが全米女子アマで優勝し、「オールアメリカン」も「アカデミックオールアメリカン」に選出。1998年には、東尾理子さんも両方に選出されています。

――いつ頃、日本でプロゴルファーになるという決断をしたのですか?米国でプロ転向する道もあったと思いますが

 米国でプロになるという選択肢も少しは考えました。でも、母への想いがあり、日本の大学に復学したいという気持ちの方が強かったんです。というのは、私立中学を受験する時は、母がものすごく応援し支えてくれたんです。その後、日本に戻り、単位を取るために1年半大学に通いました。

 帰国してすぐの1985年に、LPGAのプロテストを受けました。絶対に一度では受からないだろうと予想していたのですが、合格してしまいました。本当は、二度三度と挑戦し、卒業後に合格してプロになるという、もう少しのんびりしたプランを描いていたんですよ。それで大学に通いながら、プロとしても試合に出るという生活になりました。

怪我に悩む中で出会ったモチベーションに効く指導法

――アスリートに怪我は付き物といいますが、伊藤さんも怪我で悩まれたようですね

 プロになってからは、一生懸命ゴルフに取り組んでいました。当時は、金土日を通じて開催される3日間のトーナメントが大半。火曜日が移動、水が練習、木がプロアマ大会して、金土日に本番と、お休みは月曜日だけ。ハードな日程でしたが、若いころは体力もあったため、大変だと感じることはありませんでした。しかし、身体には負担が蓄積されていったようです。

 20代後半の時、ある大会の練習日に首を痛めてしまい、それが慢性化してしまいます。怪我はスイングにまで影響を与えるようになり、30代に入ってからは首が回らなくなるほど悪化してしまったこともありました。

 状況を改善しようと、多くのコーチの門を叩きアドバイスを求めました。その中で、私にとって救いになったのが、LPGAティーチングプロで現在JGA(日本ゴルフ協会)のナショナルチームのコーチも務めている岩本砂織プロとの出会いです。岩本プロは私より若く、プロとしても後輩にあたるのですが、ゴルフの師匠だと考えています。

 岩本プロからは、技術面だけでなく、モチベーションの面でも支えとなるアドバイスを非常に多くもらいました。それまでにも、多くの方々から素晴らしいアドバイスをいただいていたのですが、首の状態もあり、それらを上手くいかせずに落ち込んでしまう自分がいました。しかし、岩本プロは、まず私の置かれた状態を理解した上で、何をすればいいのか具体的に方法を示してくれたのです。

――モチベーションに関わるコーチングは、ビジネスでも非常に重要であると同時に難しい部分です。岩本プロのアドバイスで心に残っているものはありますか

 「いきなり修正しようというのではなく、徐々にできるところからはじめよう」という指導法に、怪我に悩んでいた当時の私は救われたと思っています。「一歩ずつ前進していく」というのでしょうか。悪いところから修正するのではなく、まず良いところを伸ばそうとする方法だから、教えられる側のモチベーションが失われないのでしょうか。私が今でもゴルフに対して情熱を失わずにいられるのは、岩本プロのおかげだと思っています。

【第3回】では、ゴルフを上達するためのヒントについて伺います。ビジネスにもヒントを与える内容となっていますのでお楽しみに!

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