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ビジネスコラム

タケ小山氏に聞く①「解説者とゴルフ成績の意外な関係性」

2020年1月8日

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 PGAツアー中継などで、軽妙な解説が人気のタケ小山氏。インタビュー第一弾では、アメリカでツアープロとしてデビューするなど、ユニークなキャリアを築いてきたタケ小山氏に、渡米の経緯を伺いました。セルフマネジメントに対する気づきなど、そこにはビジネスにも生かせるヒントが隠されています。

【プロフィール】
タケ小山(本名:小山武明)
1964年7月7日生まれ。大学卒業後、1989年スポーツ振興フロリダのグレンリーフリゾート所属プロとして渡米し、米ミニツアーで37勝を記録した。1996年フロリダ・オーランドのゴルフチャンネルで解説を始める。2007年に帰国し、日本オープンなど国内競技に参戦。現在は、日本シニアオープンなどに参加しながら、ゴルフネットワークでの解説などテレビ出演やメディアで活躍。「屋根裏のプロゴルファー」の異名も持つ。

「ゴルフは1人でやっていくものだろ?」

――プロゴルファーを目指したきっかけを教えていただけますか

 ゴルフをはじめたのは、小学2年生の時でした。私の父は転勤が多く、あまり家で一緒に過ごす時間がありませんでした。ある時から、その父がゴルフの練習場に通い出したんです。それに一緒に付いて行くようになったのが、私がゴルフをはじめたきっかけです。

 今は低年齢化が進んでいますが、当時ゴルフをやっている小学生は非常に少なかったんです。そのせいか、私が練習場に行くと、そこの専属レッスンプロが珍しがり、「ちょっとこっちにおいで」と、いつも声をかけてくれたんです。それで、レッスン料もとらずに、いろいろ教えてくれました。

 ただ、その頃の自分は野球に夢中だったんです。リトルリーグの入団テストに受かったこともあり、しばらくゴルフとは離れてしまいました。あの時ゴルフを続けていれば、メジャー大会で1つか2つ勝っていたかもしれませんね(笑)。

―― 再びゴルフに戻ったのはいつ頃だったのでしょうか

 リトルリーグには、12歳未満で引退というルールがあります。私は中学1年で引退し、以前通っていたゴルフ練習場で同じレッスンプロに教えてもらうようになりました。高校生になってからも、その練習場に通っていましたね。

 大学に入学すると、ゴルフの同好会に入会しました。最初は体育会ゴルフ部にガイダンスを聞きに行ったんです。でも、大会のシーズンになると各地の試合に出場するため、非常に高額な費用が必要になると言われ、驚いてしまいました。

 父に相談したところ、「高校生の時にも1人でやっていたのだし、ゴルフは1人でやっていくものだろ?」と答えが返ってきたんです。それに納得して、お金のかからないゴルフ同好会に入ることにしました。振り返ってみると。父の言う通り昔から1人でセルフマネジメントをしながらゴルフに取り組んでいましたね。

金井プロの一言が“勘違い”の始まり

――その頃はすでにプロになることを意識していたのでしょうか。

 大学生の頃は、ゴルフ場でキャディのアルバイトをしながら、練習場でもボール拾いをしていました。その練習場には金井精一プロのプロショップがあり、時折、金井プロがやってきてそのお弟子さんたちを指導していたんです。

 ある日、金井プロが練習場の外にまで球を飛ばす私を見て、「こいつはプロで食べていけるかもしれない」と言ってくれたんです。それが勘違いの始まりでした。その後、大学在学中に、関東ゴルフ練習場連盟(JGRA)のアシスタントプロの試験に挑戦し、規定の打数内でなんと私一人だけ合格できました。受験した時は80人のライバルがいて、大変な狭き門だったんですね。

 アシスタントプロになると、AクラスとBクラスというランク分けがあり、プロテストを受けられるのはAクラスの上位30人に限られます。早くツアープロになりたいと思っていたのですが、その壁が予想以上に厚かったんです。

 当時、「ビッグイベントゴルフ」というテレビ番組で、海外のツアーをよく見てました。今のように日本のプロツアーの中継が無く、オンタイムで見られる試合は海外の4大メジャーくらいしかなかったんです。そうしたこともあり、アメリカツアーに強い憧れを抱いていました。中々Aクラス上がれずにモヤモヤしている時に、「アメリカに行ってプロになれないか」とフッと閃いたんですよね。

 アメリカ―のツアーに参加できないか調べてみるとチャンスがあることが分かりました。1983年に、青木功プロが日本人として初めてPGAツアー大会で優勝して名が知られるようになった、「ハワイアンオープン」です。オープン競技なので、一次予選会には誰でも出られるのではないかとひらめき、会場となるパールカントリークラブに国際電話しました。

 パールカントリークラブは日本企業が保有するゴルフ場だったため、意外なことに電話は日本語で対応してもらえました。参加したい旨を伝えると、電話先の相手から帰ってきたのは、「PGA(日本プロゴルフ協会)が窓口になっている」という答え。それに従って電話してみると、やはりアシスタントプロと言うだけで相手にもされませんでした。

半信半疑だったハワイのプロデビュー戦

――でもあきらめなかったんですよね

 もう一度パールカントリークラブに国際電話してみると、今度はハワイアンオープンの事務局の連絡先を教えてくれました。問い合わせてみると、今度は完全に英語。こちらは片言の英語ですから、相手が面倒くさかったのか「OK、OK」という返事とともにFAX番号を教えろというので、練習場のFAX番号を伝えると、本当にエントリーシートが送られてきたんです。エントリーシートを前に、「本物かな?」と興奮したことを覚えていますよ。

 とりあえずエントリーし、ハワイまでの航空券や宿を手配してパールカントリークラブに向かい、スタート前の発表を待ちました。アメリカのツアーには、マンデートーナメントと呼ばれる予選会があるのですが、その時も「本当にマンデーに出れるのか?」と、一緒にエントリーした仲間とも半信半疑。でもエントリーリストに名前があったんです。試合はこれからなのに、妙に達成感がありましたね。

 この時に思ったんです。日本にいるだけでは、分からないことがあるんだと。全米オープンだって、オープン競技だから同じシステムです。アシスタントプロも海外ではプロとして扱ってくれるんです。そんなチャンスと夢のあるアメリカに憧れ、大学を卒業したら、すぐに渡米しようと決意を固めました。

解説者として失敗を見続けたことで得たもの

――当時海外に挑戦するゴルファーというのは非常に珍しかったと思いますが、どのように渡米を計画したんですか

 たまたま海外でゴルフ場を展開している企業に知り合いがいて、そこで日本人のスタッフが必要になっていたんです。それで、フロリダにあるグレンリーフリゾートというゴルフ場の専属プロとして働くことになりました。当時盛んだったフロリダのミニツアーに参戦したのですが、最初はなかなか勝てませんでしたね。PGAツアーを目指す上手い若手も大勢出場していましたから、非常に競争が激しいんです。

 勝てずにいる時に、アメリカのケーブルテレビ向けのゴルフ専門チャンネルから声がかかり、PGAツアーの解説をするようになりました。アメリカにいる日本人のプロゴルファーでそこそこ英語ができ、しかも労働ビザを持っているという条件から私に話が回ってきたようです。解説をはじめると、不思議とミニツアーで勝てるようになりました。

――解説と競技結果にどのような因果関係があるのでしょうか

 解説で他のゴルファーの失敗を数多く見たことが、自分の成績につながったんです。ゴルフはミスのスポーツですから、ミスをしない、あるいは少ないプレイヤーが勝ち残る。トッププロであろうとも、ミスをすれば負けてしまいます。

 失敗例を多く見たことで、「ここでこういうミスを犯してはいけない」「実力以上のチャレンジは失敗の元」というポイントに気づいたんです。それを自分に当てはめ、セルフマネジメントするようになると、ミニツアーでも勝てるようになっていきました。

 【第2回】では、ビジネスとゴルフに効く、「セルフマネジメント」の極意について解説してもらいます。後編は「2020年2月5日(水)」の公開予定となっております。素敵な読者プレゼントもありますのでお楽しみに!

ビジネスコラム 伊藤佳子プロに聞く<全3回>

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