前編では、進藤大典氏のプロキャディーになった経緯や試合中のマネジメントなどについて伺いました。後編となる今回は、松山英樹プロとの出会いや世界の舞台で得た経験などをお話しいただくとともに、次世代育成に関するご自身の将来像について伺いました。
【プロフィール】
進藤 大典(しんどう だいすけ)
1980年7月生まれ。明徳義塾中学時代にゴルフを始め、明徳義塾高校を経て多くのプロゴルファーを輩出する東北福祉大学に進学。2003年から宮里優作プロの専属キャディーとして帯同。その後は、大学の先輩である谷原秀人プロ、片山晋呉プロなど多くのトッププロのキャディーを務める。2013年、松山英樹選手のプロ転向とともに専属キャディーに。現在は出身地の京都府舞鶴市に「ミュアフィールドヴィレッジ株式会社」を設立し、スポーツマネジメント業を手掛けるほか、ゴルフ中継の解説や講演など活躍の幅を広げている。
世界への扉を開いた松山英樹プロとの出会い
――2013年に松山英樹プロの専属キャディーに就任されます。どのような経緯でキャディーを務めることになったのでしょうか
松山英樹プロは、明徳義塾高校の後輩にあたります。松山選手がプロの試合へ出場し始めた高校生の時、試合会場で監督から紹介されました。その後、大学3年の時に監督とともにキャディーをお願いしたいとやってきました。当時、松山選手は「アジアパシフィックアマチュア選手権3連覇」が期待されていたので、その時、これはちょっと責任重大かなと感じたことを覚えています。一方で、優勝したらマスターズ・トーナメントへ連れて行ってもらえるという期待もあり「とりあえずやってみよう」という気持ちでキャディーを引き受けることにしました。3連覇が懸った試合は残念ながら4位という結果に終わりました。10月の炎天下の中、4日間の試合を終え、2人ロッカーで涼みながら「負けた~」と落ち込んでいたその時、松山選手が「僕、来年4月にプロへの転向を考えています。半年後のその時、大典さんがキャディーをやってもらえないですか」と言ってくれたのです。今負けたばかりなのにそう言ってくれたのが嬉しくて「わかった。じゃあ待っているから」と即答しました。プロキャディーの年間スケジュールは、前年の12月中にほぼ決まっているものですが、待てど暮らせど松山選手からの連絡はなく、3月に入ってもプロ転向の知らせは届きませんでした。「本当にプロへ転向するのだろうか。急に辞めますと言われたらどうしようか。辞めると言われると仕事の予定もないし…」と不安に感じていました。結果、松山選手のプロ転向は実現し、一緒に歩むことになったわけです。
松山プロと私は同じ申年生まれで、ちょうど一回り違います。はじめのうちは「先輩、先輩!」と呼ばれていましたが、次に「大典さん、大典さん」となり、最終的には「大ちゃん、大ちゃん」に変わっていました。マスターズ・トーナメントも制して、今ではこちらが冗談で「松山さん」と呼んだりもしていますね。
松山プロと組んだ後、2戦目で優勝できました。その時は「やった~!」という感情ではなく「ふぅ~、よかったぁ」とかなり安堵していました。というのもアマチュア時代から松山選手に対するファンの期待は大きく、プロ転向後良い成績を残せなかったらどうしよう、自分は日本にいられないかもしれない、と考えていたからです。
世界を体感、そして新たな旅立ちへ
――松山プロとPGAツアーに参戦するようになり、今度は世界中のトッププロとの戦いになりました。そこから得た経験はどのようなものだったのでしょうか
タイガー・ウッズやローリー・マキロイなど世界のトッププロと戦うことで、彼らの考えていることやルーティーン、練習やトレーニング方法を学べた点はとても大きな財産となりました。選手それぞれにもバイオリズムがある点にも気づきがありました。例えば、結婚した時期や勢いがあって好調な時期、一方で世界のトップ選手でもスランプになったりする時期があるなど、どの選手も人間なのだなと感じましたね。
日本から世界に舞台を移し、それまで雲の上の存在と感じていた選手の「そんな場所からピンに寄せられるの」といった神業に近いプレーを目の当たりにした時は、まさに神様のような存在に感じました。ですが、「憧れるのをやめましょう」というWBCでの大谷翔平選手の言葉のように、まず私自身の意識を大きく変える必要がありました。同じ舞台で、この人たちに勝たなければならない、松山プロを勝たせなければならないと。
――その後、松山プロとコンビを解消されましたが、どのようなお気持ちだったのでしょうか
始まりがあれば終わりがきます。松山プロがツアーで勝ち、世界ランク2位まで昇りつめていた時期、私自身の収入も増えました。しかし、今思えば当時の幸福感は低かったのかもしれません。毎週試合を行い、翌年も同じことの繰り返しの中、常に勝つことを期待されていたため、自転車操業のような気持ちになってしまっていたのです。そんな気持ちでいては松山プロに申し訳ない、そしてなにより長年海外遠征をしていたため自身の家族をもっと大事にしたいと思うようになっていました。
最初は友達感覚で宮里優作プロのキャディーを務め、谷原秀人プロや片山晋呉プロといった日本のトッププロをサポートしながら、いろいろ学ばせていただきました。そして松山プロとPGAツアーを転戦することで、世界中のトップレベルのゴルフを肌で感じ、また同じフィールドで戦うこともできましたので、キャディーとしては正直もうやり切ったという感覚もありました。当時、試合中の歩数を計算したところ、これまでのラウンドで地球を4周半していましたしね。そこで、松山プロと話し合いを重ね「今年で一旦終わりにしよう」と二人で決めたのが2018年でした。
ゴルフの楽しさを伝えながら、次世代育成に注力
――日本に戻られてからは「ミュアフィールドヴィレッジ株式会社」を設立するなど、スポーツマネジメントやジュニアゴルファーの育成にも取り組んでこられています。なぜ「進藤大典ジュニアトーナメント」を開催しようという考えに至ったのでしょうか
「ミュアフィールドヴィレッジ」は、2014年に松山プロがPGAツアーで初優勝を果たした「メモリアルトーナメント」の舞台であるゴルフ場の名前です。ジュニアトーナメントの開催を決定した動機には、私自身が高校生の時に体験したことが大きく影響を与えています。高校生の時に、初めてアメリカ西海岸のサンディエゴでPGAツアー競技を観戦しました。運よくタイガー・ウッズのサインを手に入れ、次はフィル・ミケルソンのサインを手にしようとしていました。ところがものすごい行列で諦めかけていた私に、アテンドしてくれた方が「ミケルソンは絶対にサインしてくれるから行って並んでおいで」と声をかけてくれました。その言葉に背中を押され、帽子を手に持ちながら並んでいたところ、サッと私の帽子を取ってサインをしてくれたのです。それはもう嬉しかったですね、待った甲斐がありました。それから20年後、松山プロのキャディーとして参戦したその試合で、ミケルソンは変わらずに毎日1時間のファンサービスしていたのです。それ見たときにフィル・ミケルソンの人柄やファンに対する思いを感じて、とてつもない衝撃を受けました。
世界で戦っているフィル・ミケルソンのような偉大な選手を見て、自分が感じたような感動を人にも与えたいと思うようになりました。その想いを、ジュニア大会を開催することで伝えたいと考えたのです。ちょうどコロナ禍でジュニアの大会も中止が相次いでいた時期です。「試合ができない」とジュニアの子たちが残念がる声を耳にし、ならばジュニア大会を自分が開催して、優勝者をマスターズ・トーナメントやPGAツアーへ連れて行ってあげられないかと思い、始めたのがきっかけです。
――次世代の育成に関して思い出深いエピソードがあれば聞かせてください
最も記憶に残っているのは、2022年の第2回大会女子の部で優勝した選手のエピソードです。後になって知ったのですが、その選手はその大会まで思うような結果が出せず、この大会を最後に辞める決心をしていたというのです。ところが、プレーオフ5ホール目、接戦の末、勝って優勝。優勝をきっかけに「ゴルフは楽しい!」という気持ちを思い出してくれて、翌年の春の全国大会で優勝、夏の日本女子アマチュアゴルフ選手権でも優勝するなど大活躍しました。その後ナショナルチームに選出され、現在も頑張っています。
選手のお父さんに「あの大会があったおかげで、娘の人生が変わりました」と言っていただき、この大会をやって良かったと心から思いました。ジュニアの子たち、さらにその次の世代がゴルフで羽ばたくきっかけに貢献したいという私の願いが実現していると感じられることが嬉しいです。
――今後もゴルフとの関わりは深くなっていきそうですね
20代からキャディー一筋の世間知らずが、40歳を目前にビジネスの世界に飛び込んだので、初めは右も左もわからない状態でした。今でこそ話せますが、最初はキャディーの仕事があまり好きではありませんでした。バッグを担ぎながら選手の後をついて歩く姿は恰好良いとは言えませんし、選手は目立ちますがキャディーは社会的地位が低そう、などと勝手なイメージを持っていました。ところがアメリアで参戦しているうちに、それは間違いだと悟りました。キャディーの皆さんはそれぞれプライドを持って取り組んでいらっしゃいますし、キャディーの本質的な役割や、選手との信頼関係の結び方などを肌で感じ、キャディーの仕事に誇りを持つことができました。そしてキャディーという仕事を通じて、「尽くす喜び」を学び、それが私自身の仕事や人生の「生きがい」につながっていると気がつきました。自身の向かうべき方向が明確になったと感じています。
今後はスポーツマネジメントやジュニアトーナメントなどの活動を続けながら、ゴルフを思う存分に楽しんでもらい、さらにキャディーという職業の本質を広く世間に発信していくことで、キャディーという職業の社会的地位向上に少しでも貢献できればと考えています。
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